ナガノヤスユ記

リービング・ラスベガスのナガノヤスユ記のネタバレレビュー・内容・結末

リービング・ラスベガス(1995年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

砂漠の都ラスベガスの、目も痛くなるようなネオンの明滅の中に描かれる、凄まじい境地だこれは。
脚本家だったベンがどのようにしてアルコール中毒者になったのか、多くは語られない。死へと向かう彼の症状は重く、娼婦セラとの運命的な出会いでさえ、それを変えることはできない。いってしまえばこれは看取りの映画だ。ふたりが初めて出会ったとき、車中のベンに向かってセラが中指を立てるが、あのときすでにベンは死んでいた。現在、彼女もまたセラピーのようなものを受けていることが窺える。
アルコール中毒もまたひとつの確たる病気であるという事実に、真正面から対峙させられる。
命もまた、暗闇にゆらめくネオンのように、華々しく光ったかと思えば消えていく。その消えゆく刹那に出会い、お互いの存在を認めあう瞬間がロマンスであり、そこに至り、ふたたび離れるまでの時間の長短などさしたる問題ではない。
ベンにとって生の象徴のようなセラの身体を流れる死の象徴たるアルコール。生と死を同時に飲み干すかのようなプールサイドのシークエンス、お世辞にも上品とはいえないのに、そこはかとなく神々しい。

そういえば、実は人生で初めて手にとった映画の教則本は、マイク・フィギスの「デジタル・フィルム・メイキング」だったな。