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スターダスト・メモリーのmasatのネタバレレビュー・内容・結末

スターダスト・メモリー(1980年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

兎に角、評論家受けがイイ。
期待して(今さら初見)見たが、
なんか、平たく言うと、パンチが足りない気がした。

冒頭の象徴的な「苦しい列車・人生の敗北者号」と、「楽しい列車・人生の成功者号」の強烈な対比から始まるモノローグ。
自己嫌悪とジレンマに塗れる監督役と自身をダブらせていて、ワクワクする。
この作品は、彼の妄想だからね!って念を押しされているようだが、それ以降の展開は、まるで平凡。時空を飛び回りながら、映画祭に赴いた現在の自分の右往左往。全編を挑戦的な“編集”で、自由な工夫をのびのびとしている様に見せ掛けるが、まるで効いていない。

と、気を抜いていると、全てがこの映画祭で上映された彼の新作でした!?と言うオチも、驚く程でもなかった。

“混乱”。そんなテーマへ、まっしぐらなのだろうが、消化していない。
観客が求めているもの、作家が描きたいもの、期待と本質の永遠の矛盾への混乱。
“映画はタイヘンなのである”と、どの様に自分の体験、映画以上に映画的な見聞きしてきた滑稽な映画界へ、観客を誘い、面白がらせることができるのか?
フェリーニもボブ・フォッシーも苦労し、苦心した。

後に『さよなら、さよならハリウッド』や
若い視点に切り替えた『カフェ・ソサエティ』『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』などでの映画界への接点の方が、リアルに迫ってきて、カタルシスが満点だった。

付け加えるならば、
それでもゴードン・ウィリスの発光しているような“白”は、ノリに乗っている。
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