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スターダスト・メモリーのがちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

スターダスト・メモリー(1980年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

一般的にウディ・アレンは『アニー・ホール』(1977)から映画作家として作風が変わったと言われている。(監督作品ではないが脚本を担当した「ボギー俺も男だ!」(1969)からだと個人的には考えていますが)
そして有名になった監督は我を振り返る私小説的な作品を作りたがる。

フェリーニは「8 1/2」を作ったし、ボブ・フォッシーは「オール・ザット・ジャズ」を作った。

いずれの作品もクリエイターとしての(ご本人を投影しての主人公を通して)苦悩を描きます。

自分の作品に対する思い入れと批評家やファンとの考えの違い、これからの方向性などに悩みます。

ウディ・アレンは本作でそれを描いた。

それも(ボブ・フォッシーと同じように)フェリーニスタイルをこの作品に持ち込んだ。

冒頭の列車の中に閉じ込められてしまうシーンなどは、車の渋滞で主人公グイドが動けなくなる「8 1/2」そのものだ。

イメージショットや少年時代の思い出が脈絡なく表れる。

ウディ演じるこの作品の主人公サンディは映画監督で、コメディ路線で行くのかシリアス路線で行くのか模索中。

最新作の試写が暗いムードで終わるエンディングだったことから、批評家は散々悪口を言う。

そんな中、

彼は自分の作品が集中上映されている映画祭?に出向いてファンからの熱い歓迎を受ける。

ファンや記者からは次々と質問攻めだ。
作品のこと、政治のこと、ボランティアのこと、地球外生命体のことなどなど。

彼は精一杯のジョークで質問を返しサインにも応じるのだが、エンドレスでキリがない。

もう、うんざりだと思っているところに数々の女性が現れる。
そして・・・

悩んでいたのでしょうね、この時期のアレン監督。

その才能が天才的過ぎるがためにファンも批評家も置いてきぼりにされていた。

「アニー・ホール」(1977)でオスカーを受賞した後、「インテリア」(1978)でベルイマンを彷彿とさせる重厚な人間ドラマを撮ってしまったのだから、「泥棒野郎」(1969)や「スリーパー」(1973)「ウディ・アレンのバナナ」(1971)で彼を愛したファンは面食らっただろう。

だけど彼は基本的にコメディ作家だ。

照れ隠しをしながらいつものようにちょっと鼻につくインテリっぽい言葉を使って本作で自ら宣言した。

陰惨だった最新作のラストが明るいハッピーエンドに変わったことでもわかる。

彼はマニアックな映画評論家タイプというより、我々に感覚が近い映画ファンなので、フェリーニを真似たくなればフェリーニになるし、ベルイマンになりたくなればベルイマンになるし昔懐かしいミュージカルへの憧憬をそのまま作品にすることもある。

本当に生粋の映画ファン。

この7年後に再びフェリーニへのリスペクト(1973年のアマルコルドに対する)ともいえる『ラジオ・デイズ』(1987)を制作しますが、

こちらはずっとまろやかで温かい作品になっている。
7年の歳月が彼の映画ファンとしての作風を熟成させたのでしょう。

この作品での自分のアイデンティティ宣言でさっぱりしたのか、この後、

「カメレオンマン」(1983)で風刺劇を作って「ブロードウェイのダニーローズ」(1984)「カイロの紫のバラ」(1985)「ハンナとその姉妹」(1986)「ラジオデイズ」(1987)など珠玉の作品を次々と発表するようになる。

(因みにハンナとその姉妹は私の生涯№1作品です)

モノクロームで描き出される女優さんはみんな綺麗ですが、シャーロット・ランブリンら大女優が揃う中、「サスペリア」(1977)や「ファントム・オブ・パラダイス」(1974)で好きになったジェシカ・ハーパーがアレン作品に出ていたのは感慨深かったなあ・・・

小品ですが、故にウディ・アレン監督の作家性が垣間見れる作品だと思います。

『スターダスト・メモリー』Stardust Memories(1980)(米)
ウディ・アレン監督 91分
1981年1月日本公開

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