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新宿酔いどれ番地 人斬り鉄のニューランドのレビュー・感想・評価

3.8
✔『新宿酔いどれ番地 人斬り鉄』(3.8p)  及び『映画を語る 東映大泉篇Ⅱ』(3.8p)▶️▶️ 

 1977年の監督賞は小平を選出した記憶がある。洋画がM·ヤンチョー(当時はこの表記)に対し、小平は2本の合力で、作品最上位の敏八や関本を差し置いて選んだ。当時の感覚では、イーストウッドやスピルバーグより断然?(少しだけ?)高く評価してたし、小学校入る前後から雷蔵好きの父に、または怪獣·特撮ブームへ隣のアンチャンに、連れて行かれてたのが、13の頃か偶々サービス配達の読売新聞の河原畑さんの筆でATGを始め映画の広さを知らされて数年、映画に可能性を最も感じてた頃の選出で、よく覚えてる。洋画(封切等投票対象作での)監督賞は、ファスビンダーやルノワールを持ち上げてもよかったが。この年は旧作だと、ドヴジェンコや田坂·清水の天才を知った年だ。
 本作に、福生と米軍基地、それからながれる麻薬·覚醒剤·銃を巡るヤクザ組織の抗争、その社会や市民への余波·退廃、また係る者らの人生の共有と悲哀·感慨、といった秀作の味わいを求めても無駄だ。一から十まで、映画、それも旧き良き映画の規範や、新しい時代のテクノロジー先取り、などとは無関係な、作者にとっての手に取り、扱い、磨きあげた、極めてオリジナルで、知らずか意図的か、映画の原点的力や存在が、絡まり、只、映画を気取らず·整理は避けて宣言し続けてる。ゴダールにはあった知性も欠けてる。只、麻薬のように映画を吸いまくり、しかし墜ちず、自分の拠り所を発見究めていってるのだ。または、映画をそこから突き破り、世界へ訴えてるのだ。
 新東宝·日活·東宝·大映·俳優座·歌手·プロレス·出、東映カラーに埋没しない俳優布陣のはみ出の豊かさだが、高野や舘が出てるのは当時当たり前だが気づかす。ジョージなど、プロレスにあまり詳しくない私は、7.8年後のコブラのタイガー後釜発進まで知らなかった。
 新宿からの侵攻も、本格抗争前の他組の干渉による手打ちを見越しての、それまでの掻き廻し優位取りの鉄砲玉として、福生に送り込まれた、(敵のシマ死守最先鋒の有力幹部まで殺した為か、元々分捕るシマは任すは嘘か、消される流れの)様々訳あり鉄砲玉6人組。出所したも大人しい空気に荒れて扱いにくい嘗てのカオ、その親友で今や片腕を失い取り纏め役、刑事くずれ、若い三人もボクサーとレーサーの栄光ズレくずれ、そして親の仇を兼ねて参加の者。
 年齢無視ごまかしない身体を張り尽くした寄り図も全体近く収めきったアクション·のたうちの途切れなさ、勝手なポーズ取る余裕はキマらない。高感度の粗いムードの臨場感流しも少なく、きっちり照明·色彩も鮮やか·やかましい。その分、本気アクション·感情·遮二無二自己アピール、揺れ傾き廻り左右振るのアグレッシブ·フォローや縦に寄る·ズームも埋めてくカメラ、90°変·ドンデン·ロー·物や人ごし深い縦図らの構図·カッティングの喧しい程が愛すべき。車寄合い闘いでは室内セット内操作カットも有効嵌め込み、回想やイメージシーンも臆面なく率直介入。淡めモノクロシーン、静止画、カラーとハイコン·モノクロのカット内行き来のラスト、などなんの勿体ぶりなくストレート使用。アップの二分縦の構図や、米軍機介入の図やカット、鏡内像破壊や大窓ガラス切返しも、必然空気呼吸で意味はもたせない。
 それらが紡ぐ、拘りや立場を越えた、眼前に感じる、現実も越えた映画的呼吸感がある。挫折後の手堅い夢も女への愛着誓いも、友情や仲間裏切ってもの安定約束も、全ては組長の掌の駒の操りとしてく、他愛なさもガッカリはさせない。
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 その小平を含む、1960年代東映大泉に入社した5人の助監〜監督初期の時代を回顧する座談会、『~大泉篇~』。私が余りに不勉強で!知らなかったが、フランスN·Vの5人を上回る本人らばかりか、組合·スタジオ·会社認容ぐるみの、作家の自由と、地位の為の闘いの、気概·実行力·会社を越えた影響力、余りに面白くて、内容とキャストでは本年ベストワンだ。
 5人の侍たち。俊也は、入社当初から硬すぎて仲間らとも対立スタート、監督批判も捨て台詞でいいのに、正論でとことん論破して、トラブルメーカーで敬遠された。『さそり』の成功は、以降の監督昇進=作家としての完成者と難しくさえした、しかし『さそり』の前作否定作法続きの予定終了、会社の次作要請も形だけ受けて、作家の気概で降りて、覚悟の監督休眠となるも、映画界を揺さぶり続けた『大泉通信』をその間発刊。助監時代にはマキノの事前脚本破棄、日々号外の下地作り連続でボロボロにされるも、昇進後はその日分を撮り終えてのスタッフ会議。ゴールデン街で他の組と合流予定の助監らを深夜まで拘束。自分の結論は決まってるのに、彼らにとことん頭を捻らす。澤井は、外面柔和だが、契約社員以外の正社員、助監督の昇進は、会社上層の恣意ではなく、助監督組合の編成が決める、まず実力を公平にはかれる年功序列昇進の断行力、会社も恐れる組合の雄。柔らかくも、全く後退は見せない。司会役は彼しかいない。小松は、’65年の合理化による組織再編·分断で撮影所から、TVに当たってる制作所に移らされたが、撮影所時代の4年半の武勇は続く。監督への道は遠くなったが、時間の余裕から、脇から見事な援護射撃の小松。特別ルートで監督もし、他社とも交流し、文筆で業界を更生させる。同じ社の京撮の助監宣言の反作家·保守性も叩く。小平は、作家性保持をあくまで前面に出し、その気に入り自作を手離さない頑固で、監督昇進も偶然早くに。撮らないのも作家主義と、思いの企画通るまで待った先輩澤井も異存なし。助監時、マキノの嫌なシーン出勤せずを読めず、代演出は汗ダクダク。梶間は契約社員で入って、年功序列に当てはまらず、自分の売込みアピールのルートで監督に。助監時代は小平とファースト·セカンド多かったが、難関を潜り抜けての、細かい手応えは今も残る。とにかく、皆回想ではなく、今もその呼吸の継続者、の色艶、ノリ、剛力だ。
 当時、東映だけが興行で独り勝ちしてた「余裕」がベースにあるを理解し、組合·特に助監と監督の組合の力強かったが、大泉ラブでなく、監督となるスタジオが最大に存在してたからこちらから作り上げた気風。京撮の現場の対応速さも認め、褒める。年齢近いせいもあるが、先輩でもチャン呼びで不遜でない、一体対等自由同志感の、それぞれの個性の変わらぬ貫き中未だと、互いへの補完·友情、打合せなしの普通。の温かみ。特に助監時代、青春時代は回顧以上に継続感。それにしても、大泉が日本のセーヌ右+左岸か梁山泊そのもの、いやスタジオさえ従わせてそれ以上の魂の核ミサイル基地だったとは。勉強不足を痛感。まず監督に成ることと、与えられた題材を拒まなかった’62深作を、会社に自己テーマとスタイルを認めさせてから、監督昇進考えろと後輩助監らが諌めたとは。
 5人がくの時に掛けての、90°変と各アップ抜きの組立も内容とリンク市で結構力ある。21年前の、勇姿·サムライたちであり、周りに同じような志と腕力·行動力の奴らが集い、世界を揺らしてたとは。大島·若松·寺山·唐らの武勇伝の時代と併行、更に継続してたとさは。アカヌケてないので、取り上げ度が低かったのか、単に私だけの不勉強か。俊也が特に圧巻で、梶の勝手傲慢に負けた位の奴と思ってたが、トラブル引き寄せ大歓迎の大生真面目人間なんだ。繰り返すが面白さや意気に感じでは本年度鑑賞映像番組のベスト。
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