新年1発目!
去年秋にハマったゲーム(終のステラ)のシナリオライターさんがこの作品をオマージュしたと言っていたので視聴。
荒廃してしまった世界で、親子が「良心」を絶やすまいと旅をする話。
映画の中で「選択」がたびたび登場するのが印象深い。
絶望の未来しかない世の中で、子供を産むべきか否か
自害すべきか否か
他者を殺して自分の糧とするか否か
そしてその選択が正しかったかどうかは、後になって分かるもの。自分が選んだ「道」の責任は、自分が取らなければいけない。
人は「本能」と「理性」がせめぎ合う生き物だ。
生き残るために、苦しい思いをしないためにラクな「道」を選ぶこともある。
けれどそれは道徳的に良くないことだったりするから、「理性」で抑え込む。
この世界で本能に従わず、父親の言う「善き人」として生きるのはとても辛い「道」である。
映画では終始、子供は他者に優しかった。
でもこの世界ではそれだけでは生きていけない。与えるだけでは自分が死んでしまう。
優しさは一見「善き人」に見えるが、善悪の区別がつかず、「困っている人は助けなくてはいけない」という「本能」に従っただけの優しさだけではいけない。
一方父親は、子供に「善き人であれ」と教えながらも、どうしようもない時には人を殺すことができた。
自分の子供を生かすため(本能のため)に、「善き人であれ」という理性を上書きすることができる。
黒人から見ぐるみを剥がすシーンでは、悪いことをした父親も、子供に諭されて自分の行いを訂正し、子供の意思に従った。
(この時の黒人の親指が欠けてるんだけど、ラストで出てきた人の親指が欠けてるのもなんか含意があるんだろーなー)
この「本能」と「理性」が渾然一体となったものが「人間」であり、この葛藤こそが人間には必要なものなんだろうな。
上記の黒人とのシーンの後、親子は「コガネムシ」と出会う。
黄金虫は古代エジプトでは「再生・復活」の象徴らしい。
息子が父親の悪い行いを正すことができた、「人間として必要な成長」を遂げたことが、人類が復興していく希望になるんじゃないかと暗示しているのだろうか。