KnightsofOdessa

ひとりで生きるのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

ひとりで生きる(1991年製作の映画)
4.5
[誰もいねえ!!一人で生きるもん!!] 90点

大傑作。前作『動くな、死ね、甦れ!』で世界を驚嘆させたカネフスキーはソ連が崩壊した後、フランス資本で続編をカラーで撮った。しかも、それがベルリンとカンヌのコンペに選出されたのだ(前者は撤退した模様)。前作で12歳の少年だったワレルカは本作品では15歳くらいになっており、しかも前作で亡くなった守護天使ガリーヤの後をその妹で押しかけ女房感の強いワーリャが継ぐことで、守護天使という神秘性が一気に抜け落ちてしまっている。しかもカラー。こういった枠組みのせいで"不必要な続編"の顔をしている本作品であるが、暴力性が剥き出しになったおかげで別方向に進化を遂げていた。

前作でやってきた豚のマーシャ(すぐに屠殺される)、性交に関わる短髪の少女や途中で退場してしまう仲良くしていた日本人捕虜などの要素を引き継ぎ、終盤で唐突にドルカーロワが降臨するなど、せっせと焼き直しをする反面、人々は前作よりも自分自身のこと以外を考える余裕もなく、守護天使を失ったワレルカは衝動的で当て所ない旅を続けていく。舞台となるのはスターリン時代の終焉なのだが、ソ連崩壊後の混乱を象徴するかのように暴力性や性描写などがより直接的になっており、道端に昏倒した人々に小便を引っ掛け、出稼ぎ労働者をカモにするチンピラで溢れ、なんの脈絡もなく唐突に火の粉の雨が降ってくる。本作品に置いてワレルカの周辺世界は刹那的に展開していき、誰も頼る人間がいない中、ワレルカの中で絶望感が静かに醸造され、それは画面にも感染していく。

本作品のワレルカには前作の純粋さは失われ、ただの機嫌の悪い子供にしか見えない。だからこそ、理不尽な暴力による締め付けるような絶望感が全編から匂い立っている。集めたネズミに着火してそれが四方八方に逃げ回るラストの長回しは、それを眺めるレーニン像が画面に入るまでの時間を見ながら納屋が爆発する。そして、ワレルカは前作で亡くなったガリーヤと本作品で亡くなったばかりのワーリャを見て発狂する。そう、これが今のロシアだと言わんばかりに。ここにレーニン像が登場するのは実に象徴的だ。最近で言えば Darya Zhuk は『Crystal Swan』でソ連崩壊後のベラルーシが崩壊前と全く変わらないどころか更に酷くなっていたという姿を描いていたが(そしてこの映画にも回収されて打ち捨てられた英雄像が登場する)、本作品は同時代の記録としてその暗雲低迷する当時のロシアを描いてみせたのだ。

前作のレビューに『炎628』のフリョーラ少年に似てるって書いたら、本作品のラストはフリョーラが沼の中を泳いでいくシーンに酷似していた。カネフスキー、私の声が聞こえたのかしら?

追記
ロシアの女優って東欧映画と違って女優が脱ぐってのはあんまり見ないんだが、本作品ではドルカーロワがいきなり脱ぎ始めてドン引きする。彼女はバラバノフ『フリークスも人間も』でも脱いでたし、ソ連崩壊以降はそういう心境変化なり規制緩和なりがあったのかしら。
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