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兄弟仁義のAKALIVEのレビュー・感想・評価

兄弟仁義(1966年製作の映画)
5.0
1966年作品。
鶴田浩二!!!!!
超〜(カメラワークに)様式美/形式美が効いていて、眼が楽しいっ楽しいっ!!
はぁぁ泣かす。
清滝勇吉、貴島勝次、鳴子くに、鳴子治三郎、そして、藤上栄次郎。全員最高です。

時は、大正8(1919)年。
「大正デモクラシー」の波のなか。
平塚らいてうが1911年に創刊し、伊藤野枝が1915年に引き継ぎ、翌、1916年に最終号となった『青鞜』も無き時代。

この1966年というのはJean-Luc Godardが大傑作『Masculin Féminin』を上梓し、The Beatlesが『Revolver』をリリース、MOTOWNが1965年という怒涛の名曲の数々のリリースを終え、翌年夏に「You Can't Hurry Love」をリリースする偉大な年だ。

日本版「アメリカン・ニューシネマ」である『空飛ぶゆうれい船』、そして何よりも『仁義なき戦い』が公開される前の1966年という状況から本作を考えてみる。こんなに「仁義」を尽くす人達を観るのは、本当に最高な体験です。これが悉く裏切られ、何も信じられなくなった頃に、1973年『仁義なき戦い』が公開されるのか(?!)と。
人々もオカシイ、社会もオカシイ、政治もオカシイ…。それを思うと、1970年前半の映像作品は切ないです。『Dirty Harry』、『The Exorcist』、『Scarecrow』、『Serpico』。

「仁義」を大切にする「上州鳴子組」の人々と「卑怯」な「鬼頭組」。
そう、まだ「仁義」を大切にできる、守れる、という状況において、懸命に生きようとする人々。
ここまで全力で生きれるか、否か。
めちゃくちゃ元気が出た。勇気をもらった。この映画さえあれば「まだやれる」と思えそうだ。

現在放送中の『エール』の第2週で、「家」のことで関内光子が駆け回るが、雇われの岩城新平は「家」を見捨ててしまう。でも仕方ない、仕事が無いんだもん。そんな、見たところ「当たり前」のことを一つ取ってもやはり、「裏社会」の人間たちは対照的で、特殊だな、と。(←大正時代なのは同じ)

にしても鶴田浩二には痺れた。
「戦争」から帰還した男。
「尊い志を持ちながら、歴史に名を残すことなく、失意と後悔のまま消えていった日陰暮らしの人々の怨念、その集積、それこそが鶴田浩二」(©︎田中宗一郎)
この呪詛は、スクリーンの中で、全員を黙らせていた。鬼頭鉄五郎のビビリっぷりたらなかった。
人間に観えなかった。「闇」だった。

「いいか。有吉にははっきり言うんだぞ。賭場、鬼頭にくれてやれい。」
「バタバタすんなっ!!」
「おい鬼頭。この草間の街は、てめえが住むには勿体ねえんだ。」
など、登場人物たち、キレッキレだった。大満足!
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