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不死身の保安官のkuronoriのレビュー・感想・評価

不死身の保安官(1959年製作の映画)
3.8
子供の頃に本屋で親にねだって、KKロングセラーズの新書版で田中英一さんの「西部劇バッチリ」という本を買ってもらいました。私の西部劇に関する知識は、この本が出発点になっております。

各章の扉が、有名西部劇の名シーンを洒脱な線画で描いたものになっており、第三章の扉絵がこの「不死身の保安官」でした。ケネス・モアとジェーン・マンスフィールドが並んで馬車に乗ってるような感じで座り、モアの胸には保安官バッジ、ドレスを着てパラソルをさしたマンスフィールドの腰には何故かガンベルトが…。
「どういうシチュエーションなんだ、これ???」
長年の疑問でした。と、いうのはこの「不死身の保安官」に関する情報があまり無くて(いや、今ならネットでいくらでも調べられるんですが)ですね。てっきり凄く古い(この場合の「古い」はモノクロサイレントぐらいの作品のこと(笑))なのかと思ってるうちに、いつしか忘れ去っておりました。そして時は流れ…。

ところが先日BSの番組表に「不死身の保安官」を発見。こりゃあ録画しなくちゃと喜び勇んで鑑賞。
始まってみると意外にもカラーでシネスコ!主題歌が女性の麗しい歌声で朗々と流れます。
「うわ、こりゃミュージカル西部劇か!?」どこかで聞いたような歌声だなあと首をひねりつつ(その後調べると、なんとコニー・フランシスの美声であることが判明。そりゃ聞き覚えあって当たり前じゃん)ちょっとひきながらも観ていくと。ミュージカルじゃないけど、コメディーじゃん(笑)。
で、昔この作品についてあまり言及がなかったのも納得。いわゆる普通の西部劇じゃないわけです。

英国の銃器製造会社の息子が、傾いた会社をたてなおすべく、販路を求めて米国へ。
途中、インディアン(ではなく現地人?)に襲われるが、岩場をまわっているうちになんとなく酋長の後ろをとってしまって、命乞いするのを助けてやって解決。
着いた町では、水争いで対立する二大勢力にまきこまれる。袖口から飛び出るデリンジャーの仕掛けを早撃ちと勘違いされて町長に保安官にまつりあげられる。何故か酒場の女主人に気に入られて恋仲へ…。

つまり、当地の事情も偏見も危うさも解さない門外漢の主人公が、英国人の習慣に従って普通に振る舞ううちに、なんとはなしにトラブルは解決して上手くいってしまうというお話しなんですね。

ただし、キャラクターはみなステロタイプ。無法なカウボーイは無法なカウボーイ。インディアンはインディアン。町長は町長。酒場の女主人は酒場の女主人。それ以上でもそれ以下でもないという演出。人物的な掘り下げは皆無です。あからさまに量産タイプのB級西部劇的でそういう意味では退屈です。
でも、なんとなくちょっとだけ違うな、なんかキラッと光る個性を匂わせる。なんだろう???とおもったら、監督はラオル・ウォルシュじゃないっすか!?
なるほど納得!
そんな感じ!(どんな感じだ(笑))

もしかして…と思うんですが、これって英国風冒険物語を、舞台を西部劇の世界に持ってきてパロディ化してるんじゃないのでしょうか???
英国風冒険物語って、ほらアラン・クォーターメインが活躍する「キングソロモンの…」みたいな奴ですね。なので、ここで出てくるネイティブ・アメリカンな人々は「キングソロモン…」とかのネイティブ・アフリカンの人達の役回りなんですよ。なので、ラストの保安官事務所でああいう感じになるのでは…と。
考え過ぎか???

因みに、全然強くない人がまつりあげられていっちゃうパターンの西部劇の有名どころはジェームズ・スチュワートとマレーネ・ディートリッヒの「砂塵」とか、ボブ・ホープとジェーン・ラッセルの「腰抜け二挺拳銃」とかがあります。
二大勢力の水争いを門外漢の主人公が解決するパターンは「大いなる西部」が有名。こちらはオールド・ウエストの終焉を描いたウィリアム・ワイラーの大作です。
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