Yuichi

椿三十郎のYuichiのネタバレレビュー・内容・結末

椿三十郎(1962年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

用心棒の続編のような三船敏郎の浪人の作品。

もうすぐで四十郎といいながら、四十郎の作品は作られなかったもよう。いまなら、とっくに八十郎とかになるのか。
窓から見えたものを名前にするのであれば、いまなら、彼は何を見つけてその名前にするのだろう。

そして、本名なんなんのかきになる。どうでもいいことかもだけど。

若侍が、ハメられそうになったところに偶然居合わせた浪人が、若侍たちに肩入れをして、助けながら、その目的を果たしていく。
その動機は見ていられねえ、というお人好しというのか、おせっかい焼きなところがある、見かけによらず,いいやつな浪人。

特に最初の斬り合いのシーンは、めちゃくちゃカッコ良い。このシーンで、浪人は鞘から刀を抜かないで敵を倒していく。

しかし,これ以降は、最後の緊迫の一騎打ちまでずっと抜き身で敵を殺していく。まさに、ギラギラと危なっかしいままに。

もし、奥方の言う通り、浪人が危なっかしい抜き身のような人間だとしたら、なぜ最初は鞘に入れたままだったのか。
ここで殺してしまっては、いろいろ問題になるという計算があったのは間違いないが、本当に危ない人間はずっと抜き身を使うはずだ。

だとすれば、彼が仕方なく人を切ったのかもしれない。切る時に切り、切るべき時に切らない、そして、自分からは切らないと徹底している。ただ、若侍たちのために人を切った。

そのうえで、本当にいい刀は鞘に入っているという奥方の言葉は、何を意味するのか。

腕が立つ、ギラギラしている、とかそう言う次元ではなくて、人を切らないで済む侍がいい侍という意味なのか。それは、争いを別の次元に持っていこうとする彼女なりの哲学かもしれない。

浪人は優しいから人助けだから切ってしまった、ではなく,優しく人助けだからこそ、どう人を斬らずに済むのかを考えなければいけない。争いよりも調和を、そんなメッセージがあるのかもしれない。

その証拠に彼女は捕虜をなんの縛りもなく、いい服を着せている。斬るでもなく、拘束するでもなく、取引をするでもない、同じ人間として扱っているのだ。それこそが、鞘に入るという意味があるのかもしれない。
Yuichi

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