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ファンハウス/惨劇の館のmasatのレビュー・感想・評価

ファンハウス/惨劇の館(1981年製作の映画)
3.3
かつて輸入盤VHSで観た時に解らなかった色彩やディテールが、ブルレイによって鮮やかに観えた。

監督三作目、ハリウッドにやって来て商業デビューして、二本目の映画。早くも大メジャー、ユニバーサルで撮った作品。
(この前に大メジャーテレビ局✖️大脚本家✖️大作家、奇跡のコラボテレビ特番もあるのだが・・・)
テキサスの衝撃から始まって、本数重ねる毎に“毒”と“リアリティ”が萎んでいく・・・と酷評を受ける真っ只中の作品でもある。

最初見た時には、確かにその意見は尤もだと思い、才能が枯渇したのか!?と感じたものだが、前作『悪魔の沼』共々見返すと、不気味とか薄気味悪いとか怖いではなく、いや、そんなレベルではなく、本当に“いかがわしい”極地。それをハリウッドで抜け抜けとやっているところが、フーパーの太々しさであり魅力と言えよう。

“いかがわしい”・・・これこそ映画の大きな側面の一つであり、その湧き上がるいかがわしさを覗きたい!のが大半の観客のオッ勃つ欲望であり、それが“映画”なのだ。
映画は芸術であり、一方で“見せ物”なのである。その“見せ物小屋”でイケナイものを“覗き見る”事に惹かれてしまう、まさにpeeping-TOMたる観客たちが、映画ファンの大半であり、あなたなのです。

そんな感覚に魅せられてしまったファンに支えられ、死ぬまで“見せ物小屋”のオヤジに徹することができたフーパーは幸せであり、立派に映画史に遺った訳である。

魅せられてしまったのは映画peepingファンのみならず、映画製作の決定を下す制作陣にも居た訳だ。それはフーパーのフィルモグラフィーを見ての通り。
『悪魔の沼』(76)を観て、かのユニバーサルが次作である本作『ファンハウス』の制作を決定したのだ。ガイキチはハリウッドの中にも居たのだ。
さらに!次はオレ!と名乗りを上げるのは・・・当代切って、聖林切っての“見せ物”の名手だった。さてさて、それは次回の講釈で。
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