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ポネットのkuuのレビュー・感想・評価

ポネット(1996年製作の映画)
4.0
『ポネット』
原題Ponette.
製作年1996年。
日本初公開1997年11月15日。
上映時間97分。
フランスの名匠ジャック・ドワイヨンが、死んだ母ちゃんの帰りを待ち続ける愛らしく幼い少女のひたむきな姿を描き、主役ポネットを演じたビクトワール・ティビゾルが、4歳ちゅう史上最年少の年齢でベネチア国際映画祭主演女優賞を受賞した仏国産ヒューマンドラマ。

交通事故で母を亡くした4歳の少女ポネットは、突然の出来事にその事実を受け入れることができない。
叔母の家に預けられ新たな生活が始まる中、ひたすら母の帰りを信じて祈り続ける。
周囲の大人たちはそんなポネットに『死』の概念を教えようとするが、彼女はますます自分の世界に閉じこもっていく。

主役ポネットを演じたビクトワール・ティビゾルの演技をどないして撮影したんやろうかって思うくらい演技がうますぎて怖ささえ覚えた。
彼女自身と役が混乱しないように、精神科医が心の状態を見守りながら、 撮影を続けていったそっすよ。

4歳のポネットは、交通事故で母ちゃんを亡くし、父ちゃんの仕事の都合でポネットを預かったおばちゃんは、母親の死を理解できないポネットに、
『神様が甦らさせてくれる』
と慰める。
それを信じたポネットは、ひたすら母ちゃんの帰りを祈りながら待ち続ける。
小生もお世話になった今は亡き人たちを甦らせれるものなら祈りたいが、諸行無常。
子供やっても、亡くなった母ちゃんはどこに行ったって聞くやろけど、
もう二度と逢えない、戻ってこないとうすうす気づいているものやと思います。
だけど、ヨーロッパではキリスト教が根付いてるし、特に子供は神がいると信じている。(今はチョイ変化はあるやろけど)
ポネットのように殻に閉じこもって復活を祈り続ける可能性もある。
やがて、ポネットは母ちゃんのお墓を掘り返すまでに思い詰めちゃう。
せや、あることがキッカケとなって、子供なりに死ちゅうものを受け入れて、 乗り越えるようになる。
ボネット以外にも子供たちがギョウサン出てくる。
寄宿学校で生活する子供たちの関係も巧く描かれてた。

子供たちが云う魔法の呪文『"Ta'ali Takum", タアリ・タクム』は、実際にはイエスの『"Talitha koum" タリサ・クム』。
マルコ5章41節で、イエスは死んだ少女に『タリサ・コウム』(小さな女の子、起きなさい)アラム語というフレーズを、彼が復活させたと云うのを子供たちは教会で聞いたんでしょうね。
イエスが弟子を教え、民衆に語りかけた言語は、ヘブライ語じゃなく、同じ北西セム語派に属するアラム語やったちゅうのが今日の定説になってます。

人は生きてたら、関わりが深い人の死を経験する。
そして、心を痛め出来得ることなら生き返って欲しいと願う。
しかし、大人ならそないな妄想をかき消し日々の生活に戻るように努める。
でも日本には年に数回、お盆やお彼岸に少なくとも亡くなられた大切な人を偲ぶ期間がある。
今はまさにお盆の時期、示寂(亡くなった)縁のある人を忍び、日本では祖先の霊を祀る一連の行事が行われる。
嗚呼悲しや新型コロナウイルスの糞やろう。
ところで映画からはそれますが
『お盆』の由来てのは、古くは西暦606年に記録が残る『盂蘭盆会』ちゅう仏教行事が関係してるが、お釈迦さんが述べたわけでもなく、行った、若しくは行うように云ったわけてはないっす。
勿論、お釈迦さんは先祖崇拝も輪廻も魂の存在も書物には『無記』とあるし、言及してなかった。
『盂蘭盆会』てのは、お釈迦さんの弟子のひとり、目連尊者が、亡き母が地獄に堕ちていることを知り、その御霊を供養したことに由来した精霊を祀る行事やけど、そもそもお釈迦さんは先祖崇拝は全くの無頓着やったし、このお話もお釈迦さんの死後作られた挿話です。
一方、日本は古来より、八百万の神を崇拝する神道の思想がベースにあり、先祖の霊を祀る『祖霊信仰』の歴史がある。
一説には儒教の『先祖崇拝』も関連してると云う。
『祖霊信仰』と『盂蘭盆会』が結びついて、
『お盆』となったそうっす。
せやし、実際はその時期に亡くなった人が帰ってくるとかは無いのが現実。
帰ってきては欲しいけど。
なら、お盆なんて入らんやんって云われそうやけど、
小生はそうじゃ無いんちゃうかと思う。
今作品『ポネット』の主人公のように深い縁があった人が亡くなった時、生き返って欲しいと、多くの人が願う。
しかし、諸行無常。
(世のすべてのものは、移り変わり、また生まれては消滅する運命を繰り返し、永遠に変わらないモンはないと云うこと)
月日がたつ度に、記憶や想いてのは薄れ行く。
人は、何らかの悲しみの中で、己を鑑み沢山の何かを得て成長する。
お盆やお彼岸、その他亡き人を偲ぶ行事がなければ、人は先にも書いたように、亡くなった大切な人でさえ記憶から薄れ行く。
しいては、あのとき悲しみで流した泪さえ忘れる。
そうしないためにも、はたまた、死に行く人が生き返る事がないならば、何らかの行事で亡くなった人を偲び、あの悲しみのどん底で己を鑑みたように、せめて年に数回でも、己を鑑みてみるのも日本人として良いもんなんじゃないかと思います。
そんなオヤジ臭い事を思いが浮かんだ今作品でした。

盆休みは終わりを迎えつつあるなぁ。

皆さん健康第一に!!

 
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