シャチ状球体

テルマ&ルイーズのシャチ状球体のレビュー・感想・評価

テルマ&ルイーズ(1991年製作の映画)
4.7
リドリー・スコットって、『最後の決闘裁判』でも思ったけど男性性がいかに女性やマイノリティを抑圧しているのかを描くのがとても巧い。テルマの夫は見るだけで分かる粗暴な人間で、ルイーズの夫(マイケル・マドセン♥)は一見優しそうだけどパートナーに愛情の対価を求めている。彼の映画にはヒーローは出てこないし、決まって人間は脆い生き物だという視点が組み込まれている。『ブレードランナー』のロイ、プロメテウスシリーズのデヴィッド……。
上記の二人は人間と区別のつかないアンドロイドだけど、それはつまり人間なので……。

途中(「Go fuck yourself !」のシーン)までテルマとルイーズは対照的な性格をしていて。テルマの気持ちもよくわかる。自分より弱いと判断した他者を見下す男性は怖い。直接身体的暴力を振るってこなくとも、尊厳を奪うことに無頓着で周囲を委縮させるから。そんな環境では抵抗するよりも従属した方がダメージが少なくなると錯覚してしまうし、それも生存戦略の一つになり得てしまう。
しかしこの映画は、そんなものやそんな奴らは全てBANG!

ルイーズによってテルマが、テルマによってルイーズが向かうべき方向を誘導され、最終的に辿り着くのは権力に銃口を突き付ける道。そうして初めて二人は自由になる。今まで男性社会を謳歌してきた男性達に振るわれてきた暴力に今この瞬間に対抗するためには拳銃の引き金を引くしかないのだ。暴力を振るった者が暴力を振るわれ返される。それは刑務所や死刑制度を"我々"が肯定し続けてきたことと同列なのではないか。
人間を殺して金と尊厳を奪う。テルマとルイーズが劇中で行う行為は許されないのか?なら、何故権力による構造的暴力がいつの世も蔓延っているのだろう。

人が意思表示に弾丸を使わないために社会は存在する。その社会が全ての構成員を包摂することを怠ったその時、言論の場に銃が迷い込んでくるのだ。自己責任論の行き着く先は殺し合いしかありえない。
うーん、生命活動の停止に抵抗できなかったあなたの自己責任ですねえ……。

テルマとルイーズが何事もなく旅行を楽しむための方法は二つしかなかった。最初に撃たれたあの男が文字通り鉄の心臓を持っているか、マチズモがこの世からとうの昔に消滅していたかのどちらか。

最後に、ハーヴェイ・カイテル演じる刑事は一見物語に必要のないキャラクターのように思える瞬間もあるけど、比較的マシな権力の使い方をする人物として不可欠だったのだろう。この人の個人的なドラマももっと観たかったな。
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