ーcoyolyー

殺人の追憶のーcoyolyーのレビュー・感想・評価

殺人の追憶(2003年製作の映画)
3.9
「お前みてえな奴が死んでも誰も悲しまないさ」

これ私全く同じこと言われたんですよね、小学生の時にクラスの女子からいじめられてて「お前が死んでも誰も悲しまねえよ」って。今なら小学生でそんな発想に至って同級生いじめてるその子の家庭環境も気になるんですけど。で、それをずっと引きずってて実際に大人になってもその呪いを解けなかったのでどこか自分から呼び込むようにいつの間にか殺されかけてた。その状況で何故か生き延びて脱出して友人のところに駆け込んで一応証拠に撮った写真で一同ドン引き。散々死体描いてるエログロ漫画家に「いやぁこれは……だってロマンがないじゃん、死体じゃん」って面と向かって言われていやいや私今目の前でなんとか生きてんだよ、と苦笑。Wikipediaのエログロの項目にその漫画家の名前見かけて今改めて笑ってる。彼の中ではロマンがある死体とロマンがない死体があって普段描いてるのが前者のみなのでロマンがないものを目の当たりにすると「死体じゃん」とドン引きするの面白いですよね。死体じゃないけどね。

こういう過去があるのでこういう映画を観ると私は死体に感情移入してしまう。かなりの確率であっち側にいたはずなのに何故か生き延びてしまったから、ああいう死体を出されるたびに頭がぼうっとしてしまう。ああ私だって思って、なんで今生きているのか分からなくなる。その人がなんで死んでいるのかも分からなくなる。

なんかさ、あの女子もそんな言葉が軽やかに口をついて出てくるような家庭環境ってことは何か抱えてたんだろうし、何か抱えていたからこそ、親の外面の良さが半端ないので表面的には全く問題のない家庭の子として周囲からは捉えられていた私をターゲットにできたんだろうし、被虐待児同士がいじめの被害者と加害者に分かれるってやるせないことこの上ないよね。

「お前が死んでも誰も悲しまない」と言われて自分のことをそうなのか、と思い込んでしまうとこういう犯罪にもやたら巻き込まれやすくなるんですよ、犯罪加害者ってそういうセンサー発達してるから。なんでそういうセンサー発達してるかというとその加害者もまた似たような体験をしてるから、というのが大きいんだろうなと思うんですが、こうなると親ガチャ家族ガチャの当たり引いた人には全く見えない世界になってしまうんですよ。そんなこと言われたこともないし想像したこともないから。そしてそういう人はターゲットにならないから。

こういう映画を観て他人事と思える人はその幸せを手放さずにいてほしいですね。そういう人らこっちの世界の耐性ないでしょ?あんな呪いの言葉かけられたら耐え切れなくて即座に全世界に拡散しちゃうでしょ?それは私やってほしくないから。あの呪いは強力なんですよ、だから強力に連鎖してしまったことをこの身をもって体験してるんですよ。それはここに閉まっておくから、どうか我々のことは構わず私たちとは交わらないでその幸せを大切にしてください。ご多幸をお祈りしております。私たちのことはもう絶対にお構いなく。
ーcoyolyー

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