垂直落下式サミング

女と女と女たちの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

女と女と女たち(1967年製作の映画)
5.0
大学生の時に出会って以来、年に何回かは観返している大切な映画。オシャレなオープニングをみるだけで、もうすぐにこの世界に引き込まれる。
本作は、シャーリー・マクレーンが性格や境遇の異なる七人の女性を演じる分けるオムニバス。
ある女は、留守のあいだに夫に浮気をされ、ヒステリック金切り声をあげて当たり散らし、復讐をしてやると家を飛び出したものの、鼻柱を殴られてよれよれと倒れ伏した夫をみれば、「ああ、なんてこと!」と浮気亭主のもとに駆け寄って胸に抱き寄せて許してしまう。
ある女は、他の女が同じデザインのドレスを着てくることが許せないと、勝ち気に張り合ってあれこれ裏工作をし、ついには車に爆発物を仕掛けて邪魔をするが、すべて無駄だったことで泣き崩れる。
ある女は、充実した生活をおくっていたのに、あの雪の降る日に自分を追ってきたストーカーの男へ淡い恋心を抱いて、その真実を知らずに生きていく。
そんな俗っぽく他愛のないエピソードの羅列に単調すぎるきらいはあるが、なにやら品のいい映画に仕上がっており、多様であるようで単純な人間という生き物の習性をよくとらえている。
人とは自分を特別だと信じていたい生き物で、だから自分の凡庸さを受け入れられなかったり、自分と何かを比べて不平や不満を感じてしまったりする。
でも、シャーリー・マクレーンが七変化で魅せる7編すべてを見終えると、他者や世界、自分さえもすべては平凡で、結局のところ幸福も不幸も、その人が自分なりの平凡さをどうとらえ、どう解釈するかの問題でしかないと、日ごとの辛さや苦しさに回答をもらえたような気にさせてくれる。
だから、我々小市民が現実で感じる悩みなどすべて些細なこと、そう受け入れることができれば、誰にでも優しくなれるはず。少なくとも私にとっては、観る度にそんな力をくれる映画だ。
常日頃、感じている他人のことがわからない不安や、自分を理解してもらえないこと悲しさを解消してくれたわけではないのだけど、他人なんてわからなくて当たり前だし、人は全員そうなんだから、これでいいんだと。この映画が、心の内っかわにある取扱い注意な感情にマル付けをしてくれたような気がした。
リズ・オルトラーニが手掛けた劇半は、同じ一曲をアレンジしたものが繰り返すだけ。流麗で厳かなのにどこかバカっぽい。人間の人生なんてどれもたいして変わりはしないのだと、安心させられるメロディだ。
それにしても、デ・シーカの作品は、不幸を描いていながら悲壮な様子がまったくない。『自転車泥棒』や『ひまわり』でもそうだ。人が決定的に不幸になる瞬間にこそ、暖かい眼差しを向けていて、そのどこかユーモラスな雰囲気が、渇いたシーンに忘れられない感動を焼き付けていく。
幸福は思い込みで、不幸は自意識過剰で、ときめきは勘違いで、絶望なんて大袈裟だ。人生は少し先のことさえ予測不可能で、運命ともなればどうやっても回避は不可能で、故に自分をコントロールすることなど誰にもできはしない。でも、それでいいんだと、そうなるしかなくても、人とはそうやって生きていくものなんだと、すべての人の人生を全肯定するそんな物語に、私は心を奪われてしまったのである。