東京キネマ

悲しみは空の彼方にの東京キネマのレビュー・感想・評価

悲しみは空の彼方に(1959年製作の映画)
4.2
もうトップクレジットからゴージャス。メロドラマはメロ(楽曲)がなければメロドラマにならない、というのがこの映画を見ると良く解る。ダグラス・サークはいわゆるメロドラマの原型を作ったと言っても良い人だから、その演出力は当然ながら、このシナリオが本当に良く出来ている。

主軸としてはジョン・ギャビンとラナ・ターナーの恋愛が縦軸としてあって、横軸には黒人問題がある。それにラナ・ターナーの役も黒人メイドや娘に対しては愛情深いのだが、女優としてはどうしようもない我が侭っていう不思議なキャラクターなので、ドラマが複層的に出来ていてサイド・ストーリーも盛り沢山。女優は芝居をするもの、というコンセプトもいいし、シナリオに一点の破綻もない。今の日本のドラマと違い、ドラマの重厚感が全く違うのですよ。(こういうのを見ると、最近の日本の演出家が如何に勉強していないかが本当に良く解ります。)

こんなメロドラマに泣かされてたまるかと構えて見ていたのだけれど、もう後半になったら涙ボロボロ。くそ、ダグラス・サーク、うますぎる。

1959年当時に黒人問題を扱っているというのは矢張り凄いことです。州兵まで出て黒人学生の入学を拒否したリトルロック事件が1957年、ワシントン大行進など公民権運動が本格化したのは60年代も中盤のことだし、シドニー・ポワチエの『招かれざる客』でさえ1967年だから、相当先見性があったといってもいいと思う。

この当時、黒人差別を映画のテーマにするっていうのはある意味タブーだった訳で、だから敢えて政治的なニュアンスを排除して、自然にドラマのカラーに溶け込ませている。つまり、映画としては主義主張としての黒人問題ってことじゃなく、ただただ悲しいシークエンスという扱いながら、ラナ・ターナーの人生ドラマと協調している。このバランス感覚がとてもいい。


主演のラナ・ターナーは、この映画でもそうなんだけれど、とても上品でエレガント。が、しかしこの人、『ハリウッド・バビロン』にも詳しく書かれているけれど、現実は相当えげつない人で、色々と下世話な噂が絶えなかった。愛人のジョニー・ストンパナートのDVに堪えきれず娘のシェリルが刺殺事件を起したのが1958年なので、恐らくこの映画の直前に事件があった筈。この愛人、オスカー像くらいの立派な持ち主だったらしく、あだ名が「オスカー」。アカデミー賞でオスカー像越しにラナ・ターナーを見ているボブ・ホープの写真も有名で、まあ要するにそういった意味で使われているんだけれど、女優としてのラナ・ターナーと、現実のラナ・ターナーのギャップもあり、映画を見るとこれまた色々な意味で想像が膨らんでしまうということで、エンターテインメントとしても奥行きが深いのだな。(何のこっちゃ)
東京キネマ

東京キネマ