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悲しみは空の彼方にの7のネタバレレビュー・内容・結末

悲しみは空の彼方に(1959年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

映画の授業の一環として観ました。

アメリカにおける黒人差別を直接的な暴力を通してだけでなく、日々に潜む黒人に対する表面化しにくい人々の態度や言動を通して描いた点がとても素晴らしいと思いました。

ローラは黒人の貧しい家族を「助けてあげた」一見こころ優しい人に見えますが、よく考えるとローラとアニーの間には確実な力関係があります。

ローラはアニーと仲が良い友人なはずなのにアニーの個人的な情報については詳しく知らない。
アニーが教会などで知り合った友人がたくさんいると語ったときにそんなこと知らなかったと言ったローラに対して「だって一度もそういったことを聞いてこなかったじゃない」と答えるシーンが個人的にはとても重要だと感じました。
友人であるはずなのにローラはあまりアニーの私生活について興味がない。そこにはローラが無意識にアニーに対して平等な関係ではなく雇っている家政婦、のような線引きをしているように感じました。
きっとアニーもそのことを感じていたと思います。
ローラの家で働き始めた時から常にアニーの腰は低くローラの下で働いており、このことが社会に潜んでいる黒人差別を示唆していると思います。
考えてみると友人が家の手伝いをしてくれることになって、いくら自分が給料を支払うとはいえローラと同じ態度を友人に取れるでしょうか。

またサラが黒人の母親を持つことによって苦しんでいる状況でも口先では私たちは同じだと言いますが実際には解決に向けて何も動いていないし、口先以外でのサポートはしていません。

そして映画を通してローラの出世と恋、またローラの娘の恋が描かれていますが、一方でアニーはローラの元で働き続け娘にも責められ、アニーの娘のサラに関しては母親の人種によって好きに恋する権利すら与えられない。その対比がうまく描かれていたと思います。

映画の技術面で言うと映画全体を通してローラ、ローラの娘、サラは比較的ピンクや黄色の服を着ていますがアニーは暗い色のドレスを着ています。またカメラのアングルに関しても常にローラが上になっており、アニーが立っていてローラが座っているようなシーンはありません。
サラが黒人の母親を持っていることによって彼氏に暴力を振るわれ、帰ってきて階段に座っているシーンでもローラとローラの娘は階段の上にいます。
このような細かな技術がさらにストーリーを伝えるのに役立っていると感じました。

お葬式の後の移動シーンで今までアニーに母親であることを隠してくれ、母親と名乗らないでくれと言っていたサラが私の母親なのと言って駆け寄った時はとても悲しかったです。
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