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母あちゃん海が知ってるよのotomisanのレビュー・感想・評価

母あちゃん海が知ってるよ(1961年製作の映画)
3.8
 文部省選定?千葉県外房天津で小学生の息子一男とふたり、やもめ暮らしの愛吉(重吉)のところに遠縁のこれまた小さな息子連れで寡婦康子(南田)が後添いに来る。新しい家族ができて息を吹き返した愛吉が当座の暮らしのため知り合い矢蔵(河上)と一緒にちんまりと昔ながらの小物の一本釣りを始めるが、時代はもう大型はえ縄漁船の時代、彼らに荒らされた海はもう碌な稼ぎにならない。新しい母ちゃんのミシン内職も順調ばかりじゃないし、海の申し子の一男も海と田舎におっかなびっくりの弟信男もやっとこ馴染んだものの前途多難だ。

 小さな船持ちばかりの浜は不景気だから大型に乗り込む者、学を積んで一旗揚げようという者、密漁で悪い稼ぎに走る者いろいろだ。
 そこに東京の水族館で素潜りの経験を生かせという話が舞い込んで、密漁がばれて浜にも出られない源爺(東野)の孫娘美代子(和泉)が困り抜いた挙句に手を上げる。矢蔵の息子真次(浜田)はやめろと云い聞かせて自分は卒業も進学も放り出して遠洋へ稼ぎに出ていってしまうが、美代子も心じゃ嬉しくても金の苦労を人におっ被せてはいられない。

 周りも苦労だが愛吉たちもある日、時化の兆しのなか漁に出て遭難、愛吉が船火事で亡くなってしまう。その弔いのさ中に漁を終えて帰ってきた真次は美代子が東京に出ていった事を聞かされるが、それは予期した事で、自分もまた次の漁期に遠洋を目指すというが、葬列についてゆく親父矢蔵の相棒も船もなくした後ろ姿を見てたら働かずにゃおれんそうだ。あの時化の間に源爺も行方知れずになって、ここでは1年でどれほど人がいなくなるのだろう。
 喪もあかず悲しむ間もなく一男は、彼の才気を見込んだ愛吉の幼なじみで仲買人の島立が引き取るとの申し出があり、上の学校に進む目途まで付いてしまう。しかし、母と信男は元の東京へ戻ることになりもう一緒にはいられない。
 これを母ちゃんの言う通りにするといって決めた一男だが、やはりそれはできない。出郷の日、隣りの駅で汽車を飛び降りて島立のもとを去り、もと来た線路を走ってもどる。気まずい出戻りだが母ちゃんらも東京に戻らずこの地で暮らす決心をしたばかり、やっぱり出て行けとは一男に言いかねる。

 そこは、どうするんだいとは云ってはいけないところだろう。頓挫したけれど養豚の真似事まで初めた一男の事、さいご、海に散った父ちゃんに向かって今に見ててくれと告げるあの意気が見せ場なんだなあ。


 「横綱は強いけれどもどん詰まり、私が買うのは伸びる大関」的ということで、3.8とするのがいい。
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