ルサチマ

軍使のルサチマのレビュー・感想・評価

軍使(1937年製作の映画)
5.0
横たわる軍曹にシャーリー・テンプルが小ぶりのブーケを手渡し、歌声を聞かせるシーンを90度の切り返しで提示し、次第に眠りこける軍曹をそっとしておくように後退していくシャーリー・テンプルが一度病室から出て行ったかと思うと、病室の背後で悲しみに沈む兵士のもとへチラッと踵を返すも、小柄な姿はギリギリフレーム内に捉えられるだけというぶっきらぼうな慎ましさが途轍もなく感動的だ。

そのシーンの直後には軍曹を悼む葬列のシーンが挿入されるのだが、シャーリー・テンプルは葬列に参加することなく、しかし彼女のいる室内の外で葬列がなされているであろうと予想され、葬列とシャーリー・テンプルの位置関係は平行関係を成すようにモンタージュされる。ここでの葬列は言うまでもなくその後撮られることになる『太陽は光り輝く』の葬列のシーンへと変容するものであり、『軍使』との比較で明らかとなるのは、葬列に参加が許されるのはあくまで兵士に限られているという点だ。同じ制服を着て、同じ訓練に参加する少女のシャーリー・テンプルは、このシーンにおいて大人の男との平行関係に位置付けられることにより、性差と年齢差、そして高低差の現実を突きつけられている。

もうひとつ個人的に興味深いのは英兵と敵対するカーンが階段の中段で軍使となったシャーリー・テンプルを媒介として邂逅するラストだ。この場面は能の『谷行』であり、それを題材としたブレヒトの『イエスマン ノーマン』、さらにその戯曲を下敷きに21世紀に製作された『YESMAN/NOMAN/MORE YESMAN』へ引き継がれているのではないかと思う。

カーンが階段の中腹へ降り、くるっと回転する身振りのサスペンスをロングからクロースアップへ撮ること。その光景を眺める双眼鏡を持った兵士たちがいて、大人の男たちに囲われた子供がいるという図式は、フォードを更新しようとする壮大な野心が根底にあったのではないかと予想する。
ルサチマ

ルサチマ