ベテラン中学生

ライフ・イズ・ビューティフルのベテラン中学生のネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

ライフから場面はイズへ 暗いな イズの場面で待つビューティフル

伊舎堂仁

でも短歌オタクにはおなじみ。



一個一個のエピソードはコメディじみてて現実味がないのに、全体としては感動できる(一種のリアリティがある)ようになっていてすごい。

大文字の「戦争」というものをちゃんとテーマに据えて回収しようとする意志が日本の映画にはあまりない感じでおもしろい。「戦メリ」とかもけっきょく戦争そのものについては歯切れが悪いというか日本と西洋の違いが平行線のまま終わったのに対して、こっちははっきりメッセージ性がある。単にどっちがいい、って言える話でもないけど。

お父さんのグイドはいつも他人のためにおもしろい(ふりをしている)のに、最後にジョズエを箱に入れるときだけはもう会えないとわかっていてキスをする、という場面が一番感動した。そのあとたまたま死ぬ前に会えた時は変な歩き方をしてウィンクするけど、それはもう覚悟が決まってるから息子を楽しませたかったんだろうな、っていう荒唐無稽なリアリティがある。

ドイツの軍人のセリフをグイドがイタリア語でめちゃくちゃに翻訳するシーンとか、なぞなぞにハマった医者がユダヤ人差別に苦しんでることを変ななぞなぞで現すシーンとか、戦争を批判するための道具立ても一個一個が単純ではないけどおもしろいものになっててそれもすごい。叔父さんの落書きされた馬でドーラと結婚式を抜け出すシーンもユーモアがあって素敵。



でも問題はこの映画に感動してる人が、平気で他人を傷つけてしまったり差別してしまうことであって(自分を含め)、映画観て感動して終わり、じゃあ映画を観てないよりひどいことになりかねないんだよな……という感覚もある。これはジョーカー観た時も思った。

今、自分は政治よりも芸術寄りの事柄にさまざまコミットしてるけど(あえてここでは政治/芸術という古典的な二項対立を使う)、芸術も根本的に政治の一種でしかないなら芸術なんかしないで政治をそのままやったらいいんじゃないか……?

でも、ここではとりあえず、この映画でしつこく示されていた、笑い、おもしろいこと、の倫理的さを確認するにとどめておきたい。

おもしろいことはそのまま倫理になりうるし、つまらないことはそのまま暴力になりうる。たとえばこの映画(『ライフ・イズ・ビューティフル』)がつまらなかったなら、いくら反戦的なメッセージがこもっていようと、また別の「戦争」を引き起こしてしまっただろうし、おもしろかったからこそ反戦的なメッセージが伝わるというその怖さ(本質?)を見過ごしたくないと思う。