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ジャンヌ・ダルク/I 戦闘 II 牢獄のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

3.0
【男装という鎧】
ブリュノ・デュモンのジャンヌ・ダルク映画『ジャネット』、『ジャンヌ』公開に併せ、ジャック・リヴェットの『ジャンヌ/愛と自由の天使』、『ジャンヌ/薔薇の十字架』を観た。ジャンヌ・ダルク最期の地であるルーアンで生まれたジャック・リヴェットは、長編デビュー作『パリはわれらのもの』でシャルル・ペギーの「Paris n’appartient à personne(パリは誰のものでもない)」という言葉を引用していることから、彼がジャンヌ・ダルク映画を撮ることは宿命だったといえる。ジャンヌ・ダルクは、ジョルジュ・メリエスに始まり、カール・テオドア・ドライヤー、ロベール・ブレッソン、リュック・ベッソンと様々な監督によって映画化されてきた。ジャック・リヴェットが放ったジャンヌ・ダルク映画は、神聖化された彼女を民話に落とし込むことによって普遍的な男性に抑圧される女性像を告発したものであった。

歴史スペクタクル映画は、主に剣を交えたり、激しい政治戦が繰り広げられたりするところに見所がある。だが、実際には、今のようにインターネットがない時代の動きというのはゆったりとしたものである。本作はそれを体現するかのように、第一部の終盤30分になるまでスペクタクル場面はお預けとなる。戦争の足音が近づく中のジャンヌ・ダルクにフォーカスがあたる。彼女の噂は街に広がり、ある種の革命家として支持を集めていたのかと思えば、兵士たちの悪口が聞こえる。「生意気な小娘がまた何か言っているぞ」とぼやき、彼女に絡む。正論で、彼女の活動がいかに無意味であるのかを圧力かけようとするのだ。どこからか現れた女の手によって政治が変わってしまうことがどうも面白くないようだ。

そんな男たちの圧力に屹然とした態度で対応する彼女は、やがて男装をするようになる。これがまた周囲の反感を買い、彼女の世話役は小言を放つ。このようなチクチクした周囲の不信感が、彼女をリーダーにしつつも、彼女を失墜させようとする不気味な動きへと発展し、あの最期へと向かっていく。彼女が考えた作戦は勝手に、否決され変更されてしまう。また、彼女の立場が悪くなると、レイプの対象になったりする。

ジャック・リヴェットは、伝説の英雄として写りがちな彼女の日常的にウケるハラスメントに目を向けることによって、今にも続く男性による女性の抑圧を見つめているのだ。だからこそ、男の発言に目を向けると、日本の職場でも起こっている問題と変わらないことに気づくのだ。

そして、ジャンヌ・ダルクの男装に着目することで、男の鎧を身に付けていないと潰されてしまう世界というのを暗示させている。そのような男の鎧が、ボコボコと穴を空けられ、しまいには丸裸の状態、女性を引き摺り出した状態で火炙りにする凶悪さ。確かに、ジャック・リヴェット映画の中では非常に退屈であり忍耐を要する作品であるが、2020年代に再評価すべき代物であった。

ブリュノ・デュモンはジャック・リヴェットの精神を引き継ぎつつも、映画的魅力を与えたと考えることができる。
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