クシーくん

日本の黒い夏 冤罪のクシーくんのレビュー・感想・評価

日本の黒い夏 冤罪(2000年製作の映画)
3.9
地下鉄サリン事件が起こった時はまだ子供だったので、正直両親が騒いでいたことを朧げに記憶しているような気がするが、それも結局後付の知識による勘違いかもしれない。
とにかく子供の時に起こった出来事ということで、その当時の騒ぎを明確な記憶として知っている訳ではないが、1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件と、平成7年は実に激動の年である。
その前に、松本で類似のテロを起こしたことは知っていたが、これほど酷い事件だったとは知らなかった。

マスコミを批判するために高校生という子供を用意したのは、結局マスコミを客観的に批判出来る存在がいない為の苦肉の策かと思ったが、
実際に高校生が本件を元にドキュメンタリーを撮ったことを下敷きにしているということらしい。

高校生のインタビューに答えるテレビ信濃の記者4人にそれぞれ異なる個性的なキャラクターをつけることで、記者の四者四様の立場で異なる角度からの意見を言わせるのもなかなか上手い。勿論、警察や専門家の発表をその通りに報じたのに、何故批判されなければいけなかったのかと半ば開き直り、更に自問自答の末、自責の念に駆られたメディア関係者もいたことだろう(と思いたい)。

視聴者からの非難を浴びて怖じ気付き、さっさと報道撤回しろと中井貴一を責めていたテレビ局の重役が神部さん無罪の報を聞いても表情をまるで変えなかったのが印象的である。石橋蓮司演じる吉田警部が部下は必死に駆けずり回ってカルト教団との繋がりを発見したのに、神部に年越し蕎麦を食わせるなの一点張りで、捜査方針を変えようとしなかったという点にも共通しており組織の硬直化、縦社会への痛烈な批判をストレートに描いている。日本の作品にしては珍しく真っ当に社会の問題点を鋭く突いた意欲作という所だが、どうにも中途半端に真面目過ぎるきらいがないでもない。各々の役者の素晴らしい演技と個性的なキャラクターで否応無しにドラマ性が高まるのだが、内容としては至って平板なのだ。盛り上がりを作るために、何台もの報道車を飛ばす様子をワイドで写したりとか色々頑張っているのだが、如何せん乏しい気がしないでもない。少々お行儀が良すぎる、地味なドラマ作品ではあるが誠実な作りには素直に称賛を送りたい。また、中井貴一、石橋蓮司、寺尾聰の御三方の演技が渋くてとても良い。三人の誰かが好きなら観て間違いはない。

警察やメディア、そして有罪間違いなしと信じた日本中の人々がよってたかって神部氏を犯人に仕立て上げた構図は見ていて空恐ろしくなる。
当時報道という特権を振りかざし、結果致命的な誤ちを犯したメディアだが、今やスマホさえあれば誰もがその危険な特権を振りかざせる。ネットやSNSを眺めると憶測と不確かな情報に踊らされて、暴言流言が飛び交っている。今でも大して変わっていないどころか、当時以上に悍ましいことになるのではないかと思うとどうにも陰鬱だ。

後半、事件当時の再現が行われるが、怖いというよりも悲しくなった。
日常生活を下らないカルト教団の逆恨みで壊された人々の、一人ひとりに生活があったのだ。と同時に、下らないボンクラ集団がそうした人々から当たり前の生活を奪ったことへの憤りを改めて強くする、そんな良いシーンだった。

どうしても気になる点が一つある。メディアが誤報を生み出す原因にもなった「サリンはバケツで作れる」云々の言説である。勿論冤罪を生んだ諸原因の一つでしかないが、しかし見過ごせない大事なポイントだ。本作ではおひょいさんがいい加減なことを言う科学者として登場していた。当時のメディアも大々的にサリン=バケツ説(と仮に呼ぶ)を報道していたようだ。ここで疑問なのは、モデルであろうと思しき、実在人物である所のおひょい何某の発言は本当にあったのだろうか?ということである。メディアは確かにサリン=バケツ説を唱えていたようで、何某も家庭にあるもので簡単に作れてしまう云々の発言はしている。しかし、「バケツで作れる」という言説は本人が語ったとされる記事からは読み取れず、果たして本人が本当に言ったのかは定かではない。松本サリン事件については多くの人が言及しているが、中にはハッキリと、何某はそんな発言はしていないと断言する人もいる。私は結局本人がそう言ったのかまだ分からないのでなんとも判断しかねるが、しかし、もし何某が言っていないにも関わらず、メディアや個々人の憶測で言った事になっているのだとすれば、本作に憤りを感じた私自身が神部氏をスケープゴートにした当時の国民と同じ轍を踏む事になる。更に本作自体がデマの助長に繋がりかねない事にもなる。逆に私が知らない媒体のどこかで「言っていた」のだとしたら、某は一切謝罪もしておらず、現在もメディアに顔出しでご活躍のご様子ということになる。本作は「言っていた」説を採用しているが、多くの専門家がサリンはバケツでなど作れないと首を横に振っていたにも関わらず、何故彼の意見を採用したのか?など多くの疑問が残るにも関わらず、結局語られることはなかった。真にメディア自身の反省と批判をも追究するのであれば、その点については触れて欲しかったと言わざるを得ない。
果たしてどちらなのだろうか。
クシーくん

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