デニロ

夏の妹のデニロのレビュー・感想・評価

夏の妹(1972年製作の映画)
3.0
1972年の大島渚作品。田舎暮らしの高校生にとって創造社=日本ATG作品を観る機会などなく、映画雑誌に書かれている評を読みながら想像するばかりだった。

当時の本作の評価はかんばしいものではなかったかと記憶している。この前作『儀式』―勿論わたしは観てはいなかったが―が批評家に恐ろしく支持されていて、その比較からぼこぼこにされていたような記憶がある。勿論擁護論もあって、論争になっていた。

わたしが観ることができたのが1975年。多分四谷公会堂であった大島渚の連続上映会だったと思う。それまでに何本か観ることができ、想像以上にスタイリッシュな画像で、勝手に想像していたよりもモダンな表現力に感じ入っていた。彼の描く現代は彼の著作等や、映画作品に対する批評を読まなければ理解しがたいものであったけれど。

当時の最新作であった本作を観てノートに何か書いたとは思うのだがもはやどこにしまってあるのかも分からない。が、気が抜けた思いがある。若さゆえに映画をかなり構えて観ていたからだ。

40数年ぶりに再見して、沖縄復帰の年に観光映画にしてしまって、と揶揄されていたことを思い出した。確かにそんな気はする。りりィと栗田ひろみに比重をかけた分、暗喩が生きていない。それに、現代を切り取ることに大島渚が飽きていたのかもしれない。

上映終了後、後ろの席の女性二人が複雑な表情で笑っていた。勝手に翻訳すると、何これ。

創造社を解散し、『愛のコリーダ』に取り掛かったのが1975年頃だと思う。その後、大島渚は人間の生きる力について語り始める。
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