百万両

男はつらいよ 寅次郎物語の百万両のレビュー・感想・評価

男はつらいよ 寅次郎物語(1987年製作の映画)
3.6
シリーズのアイデンティティである人情、笑い、ペーソスの魅力をいかんなくまき散らしながら、今回は一見相いれないようにも見える「人は何で生きるのか?」という哲学的なテーマを寅に突きつけている。
なぜ秀吉とおふでと末永く幸せに暮らしていかないのか?なぜ「お母さん」と一緒に以下同文・・・、
そんなこと言ったらそもそもなんで今まで「とらや」で大好きな人たちに囲まれながら面白おかしく日々を送ってこなかったのか?
再び旅に出る際、自らの商売を卑下する寅さんに対しさくらが「それが分かっているのなら・・・」と口ごもるが、寅は笑いながら「渡世人のサガ」の一言でその積年の問いを片付けてしまう。彼の言う渡世人のサガとは大方は多くの観客が感じ取る通り自虐的ニュアンスで占められているものの、その奥には同時に、自分に正直でありつつ「かたぎ」より強い節度を持ち、そして何より未来へ向けた希望とロマンを決して絶やさないという彼の無意識の自負がゆるぎなく流れていると感じる。
最後満男が漏らす「人ってなんで生きているのか?」というズバリの問いに対して、寅は「生きててよかった!」と思える瞬間があるからだ、そしてその「ああ、よかった!」の瞬間は必ずみんなんに訪れるものだと答える。そこにこそ(本人は気づいていないかもしれないが)彼の前述したような生きるための矜持が詰まっており、彼の周囲の人間を惹きつけてやまない無二の人間的魅力の源泉がある。それこそが御前様をして「ワシなんかより寅の方が仏様に愛されている」と言わしめるゆえんだろう。
最後秀吉家族の様子を隠れて見守りながら「船長」に対してつぶやく「あいつならいいだろう」という言葉と視線がいつにもまして切なく優しく温かい、、、
寅さんがけんかっ早いチンピラではなく、やや達観してきて円熟期に入った時期の傑作だと思う。
見終わって改めて「寅次郎物語」というサブタイトルの意味深さに気づく。
百万両

百万両