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妖女ゴーゴンのhorahukiのレビュー・感想・評価

妖女ゴーゴン(1964年製作の映画)
3.8
何から目を背けたのか?

U-NEXTで配信開始したハマーホラー!買うしかなかったので有難い!!ど田舎村で人々が石化する事件が発生。でもクソ警察たちや村の博士はゴーゴンの存在を認めたく無くて隠蔽。ゴーゴンの存在を訴える父親が石化直前に書いた手紙。それを受け取った息子が村の闇に切り込んでいくゴシックホラー。

10匹以上の蛇がいる迫力満点なジャケのゴーゴンさんとはかけ離れたクソダサビジュアルが堪らない!子供のおもちゃみたいな蛇がちょこっと頭の上に刺さってる素人コスプレ感と、ハマーにしては金かかってなさそうなテキトーメイク!ゴーゴンって三姉妹だし、ジャケの人と映画の人ってもしかして別人だったのでは…😅

『吸血鬼ドラキュラ』と同じくテレンスフィッシャー×クリストファーリー×ピーターカッシングのハマーフィルム最強布陣!いつもは悪側のリーが今回は味方側でカッシングと対峙するという逆転感が堪らない!ゴーゴンさんがあんまり出てこないのは残念だけれど、フィッシャーの演出は光ってた!魔女狩りを題材にしているだけあって地味にフェミニズムホラーだと思う。

画家と、ヌードモデルしてる彼女の死体が発見→村の偏りまくった裁判の結果、画家が無理心中を図ったのだと判決。納得いかない画家の父親が独自調査中にその父親も死亡→父親が死の間際に書いた手紙を頼りにもうひとりの息子ポールが調査にやってくるという流れ。

異様なほどに女性キャラがおらず、数少ない女性全てが何かしらに拘束されている。それは閉鎖的な男権的村社会ゆえの恐ろしいまでの抑圧に起因していて、村の支配層が一丸となってその総本山たるゴーゴンの存在を抑えつけている。消極的な隠蔽ではあるのだけれど、ゴーゴンのターゲットが決まって村にとってのマイナス要因(もしくはマイナスを排除するのに都合の良い相手)であることを考えると、村の代弁者としての役割を映画としてはゴーゴンに担わせているように感じた。

冒頭でヌードモデルと裸婦画を重ね合わせる同化演出(実際に本人だと思う)から始まり、後から来た家族たちは知らないから仕方ないにしても、死人をモデルにした裸婦画(正面画も含めて)を村の誰もが片づけようとしないどころか言及すらしないあたりにその無関心な冷酷さが伺えるし、その後の裁判においても村にとっての反乱分子を除外することにしか興味がなさそうに見えるのが胸糞。

殺されたモデルの父親と裁判長との切り返しにおいては、ミドルショットな父親(像が少しブレてる)に対してクロースで凄みを効かせるピントの合った裁判長によって力関係を明確にし、その後のカッシングと裁判長では同格(同類)、更にその後、村の秘密を暴こうとする男とでは男がミドルで裁判長はクロースと力関係を決定的にしつつも男サイドの凄みによって同格へと強引に持っていく位置取りの的確さ…ここで村がどこを見ているかが非常に象徴的に描かれている。

その後、カッシングの冷静な演技の中でも核心を付く者とのやり取りにおいては必ずと言っていいほどカッシングは何か物(タバコや紙)を触っていて、その心に秘めた罪悪感ゆえの後ろめたさを表現している。このことからも村の悪の根源は彼ではないことがわかる。

本作は村の集合的な悪意という地獄の中で抑圧され続ける物語。無意識のうちにその集合的悪に利用され、それは「二千年前の迷信だ」と切って捨てられ隠蔽される。彼女は何から解放されたのか。それでしか解放される手段のない現実へのペシミスティックな余韻を残すハマーにしては珍しい作風が新鮮な作品でした!
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