青山祐介

世界の始まりへの旅の青山祐介のレビュー・感想・評価

世界の始まりへの旅(1997年製作の映画)
4.2
マノエル・ド・オリヴェイラ「世界の始まりへの旅(Viagem ao Princio do Mundo)」1977年 ポルトガル、フランス映画
『われわれは自分自身のなかを永遠に歩く人(旅人)なので、われわれ以外に風景はない。われわれは自分自身すら所有していないので何も所有していない。何者でもないから何も持っていない。わたしはいかなる宇宙に向っていかなる手を伸ばそうとするのか?宇宙(世界)はわたしのものではない。わたしなのだ。』
ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソア<不安の書>

 マノエル・ド・オリヴェイラ(Manoel de Oliveira 1808-2015)はポルトガル北西部のポルト県ポルトに生まれた。ポルトは中世の佇まいを遺す港町で、ポルト大聖堂、ゴシック様式の教会、石畳の細い路地など、遠い過去の想いをいまに伝えている。ポルトから北へ80㎞、スペインとの国境を流れるミーニョ川が大西洋に注ぐ河口にカミーニャがある。カミーニャの旧市街、城砦も中世の香りが漂い、歴史のある古い町である。そこからカストロ・ラボレイロのルガル・ド・テーゾの寒村にはさらに東へ行くことになる。
これはオリヴェイラ88歳の時、マルチェロ・マストロヤンニ71歳の遺作となった映画である。マストロヤンニの扮する老映画監督マノエルのルーツを辿る旅のかたちをとり、「世界の始まりへの旅」と題されている。しかし、ポルトガルの風景がオリヴェイラ独特の語り口によって静けさと明るさのなかで描かれるが、私には「(わたしという)世界の終りへの旅」という終末への旅に思えてくる。私はポルトガルを旅したことがないので、ただポルトガルを夢想することができるだけである。ポルトガルの空、ポルトガルの海、ポルトガルの涙、ポルトガルの歴史、ペゾのグランドホテルの廃墟、ヴァレンサの城砦、カトウーロ・セアレンス、ウリケの戦い、ペドロ・マカオの伝説、イヴ・アファンソについても、また、そこに映る風景についても、私の持つ知識は僅かなものである。それなのに、なぜか見知らぬポルトガルの旅に魅せられ、郷愁をさえおぼえる。郷愁はひとの生の象徴なのだ。「存在する事物にとって、在るのは死ではなく、そう別種の終末ではないのか。さもなくば、大いなる理由 ― なにか赦しにも似たなにものかではないのか(ペソア)」。そう ―それが郷愁である。この映画は始まりという別種の終末と赦しに似た惜別の旅であるのだろうか。
「風景はひとつの心理状態」である、と言った哲学者がいたが、私も風景なのである。5人の登場人物の想いは、それぞれの始まりへの旅の風景として流れて行く。ロードムービーの面白いところである。ロードムービーにすることによって、ポルトガルの歴史にとどまらず私たちの歴史になる。ジュディットはエロス・女神であり、寡黙な運転手は運命の神か、死神なのであろうか。そして物語はアファンソの思い出に移って行く。アファンソはマノエルの原点である。
マノエルに言うアフォンソの言葉がなぜか心に沁みる。「あなたもまた(柱を背負う)ペドロ・マカオだ。誰もあなたの苦しみを取り払いには来ない」と。
この映画を観た私の感想は、「凡庸な夢想家の見当違いの思い」にすぎないのである。
青山祐介

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