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煉獄エロイカのshabadabaのレビュー・感想・評価

煉獄エロイカ(1970年製作の映画)
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政治について語ってるようで、実際はほとんど私小説。岡田茉莉子演じる夏那子の旦那、力弥はレーザー研究の第一人者とされているが、力弥が語るレーザー研究はほとんど映画のアナロジー。しかも、「昔の夢は映画監督でした」なんて発語から考えても明らかに力弥は吉田喜重自身。なら、それは一体何を意味するのか。

力弥が映画全体そのものを支配しているのは明らか。1952年、1970年双方の革命計画を混乱させているのは力弥であるし、彼がしばしばハレーション(=日の丸の暗喩)と共に現れるのは、彼が国家権力=父、換言すれば大文字の他者であるためだろう。その為に他の2人の男が死んでも彼は死なない。

ここで岡田茉莉子の存在が重要になってくる。この映画では一貫して売春行為と女性の革命参加が同等のものとして語られている。そうした中で岡田だけは革命にも参加せず、売春した過去を封じている。真に革命を実現しうるのは、4人の女の中で岡田だけなのだ。

だから、ラストで岡田が「私は神だと信じていたものを打ちにいく」と言うとき、それは本当の意味での革命=父親殺しを意味している。ここで力弥=吉田自身であった意味がはっきりしてくる。吉田は岡田を起用して以来、ずっと自身の映画を破壊し、撹乱する可能性を岡田の身体に託してきたはずだ。この映画は『告白的女優論』と並んで、岡田と映画芸術そのものに対する鎮魂歌だったのだ。
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