Jeffrey

ぼくの美しい人だからのJeffreyのレビュー・感想・評価

ぼくの美しい人だから(1990年製作の映画)
4.8
「ぼくの美しい人だから」

〜最初に一言、大傑作。アメリカ映画の中でも最高レベルに大好きな1本である。主演のスーザン・サランドンの女っ気の魅力さ、色気さ、大胆な彼女の出世作で、彼女のキャリア史上最も最高の瞬間をとらえた映画だと確信している。一方、ジェームズ・スペイダーの男前さ、肉体美には女はもちろん、男の私でもクラクラする程かっこいい。まさに大切にしたいベスト・ムービーである〜

本作はシドニー・ポラックが製作総指揮を務めた作品で、アメリカの新進作家グレン・サヴァンの同名の処女作をルイス・マンドーキ監督が映画化したもので、87年にペーパーバック・シリーズの1冊として作られ、たちまち10万部を超すヒットとなった原題で、今は亡きシネマ・スクエア東京のナンバー94の作品で、マンドーキが1990年にジェームズ・スペイダーとスーザン・サランドンを主演に迎えたラブストーリーもの。この度久々に自宅にあるDVDで鑑賞したがやっぱり傑作。本当に心の底から好きな作品の1本である。初めて見たのは今から何十年も前だが、その時強烈にこの作品が大好きだ!と言う気持ちになった。もともとスーザン・サランドンと言う女優を見ているだけでなんだろう、安心感というか彼女から湧き出る母性がすごく居心地が良くて彼女の作品を多く見てきた中で、この作品と出逢った。この作品のオリジナルポスターのサランドンの肩から胸まで肌けた赤ワイン色のドレスの胸元にスペイダーが顎と口を当てている背景黒の官能的なポスターを最初見たときに興味を注がれた事を覚えている。

オープニングからエンディングまで楽しめたが、特にクライマックスのお店の中のテーブルの〇〇のシーンを見てもうたまらなくこの映画が大好きになった。今でも忘れない初めて見たあの日の夜。一見絶望的だが、純粋な恋愛の実りの経路を、繊細な感触で煮詰めていく大人のラブ・ストーリーで、多くの人に勧めたい作品である。とは言うものの、私自身がこの作品をかなりえこひいきして評価している側面もあるため、そんなに人には勧めていないのだが、少しでも大人のラブ・ストーリーが好きな方には絶対に見て欲しいと言う作品である。27歳のエリート広告マンを演じたジェームズ・スペイダーは、「セックスと嘘とビデオテープ」で89年のカンヌ映画祭主演男優賞を受賞しており(作品は確かパルムドール受賞してなかったっけか?)、自分の中に突然目覚めた未知の愛の形に戸惑いながら、生き様を真っ向から見つめ直そうとする男をナイーブに演じていて素晴らしいの一言。

高級マンションに住み、世界文学とモーツァルトを愛するマックスを演じていた。彼すごく2枚目だよなぁ。かっこいいと思う。今は禿げて坊主頭だけど(笑)。そうしてスーザン・サランドンを演じるノラは、街の安っぽいファスト・フード店(ハンバーガー・ショップ)で働き酒に溺れてはいても、誇りを失わず、若いマックスを臆することなく愛する個性派中堅女優のスーザン・サランドンの芝居は素晴らしかった。彼女が出てる作品では、ジーナ・デイヴィスと共演した「テルマ&ルイーズ」が1番だが、その次は答えられたらこの作品を言うかもしれない。女の自己解放を彼女に演技させたら右に出るものはいないと言うほど素晴らしい。後に夫であるティム・ロビンス監督の「デッド・マンウォーキング」(共演した死刑囚役のショーン・ペンの演技がまた素晴らしい。確か彼コレでベルリンだったかどっかの世界3大映画祭で主演男優賞受賞したんじゃなかったかな?)


で、アカデミー賞主演女優賞受賞する彼女だが、マックスの会社の上司としてスティーブン・キング原作の「ミザリー」でアカデミー賞主演女優賞を獲得したキャシー・ベイツまで出演している豪華さ。出番は少ないが、さすがのインパクトを放つ。キャシー・ベイツの作品で・はクークラックスクラン (KKK)をネタに描いた「フライドグリーントマト」が1番好きなので、さっさとBD化をしてほしい。DVDは持っているのだが。今思えばマンドーキ監督はメキシコ出身で、彼の作品を他には見たことがないなぁ。ただこの作品が彼の第3作目にあたる映画だと言う事はわかっているのだが、多分大体ビデオ発売で止まっていそうな感じのタイトルばかりだ。ていうかこの作品制作総指揮には、アカデミー賞受賞映画作家のシドニー・ポラックがクレジットされていたのに今更ながらに驚かされた。

多分プロデューサーであるマーク・ローゼンバーグの率いるミラージュ・プロ、エイミーロビンソン&グリフィンダンのダブル・プレイ・プロダクションとが、同時にこの原作の映画化を狙っていて、そこでポラックの提案で、今回この2つの制作会社が、初のドッキングを果たすことになったんだと思う。またうまい具合のタイミングで、この作品を見たなぁと思うのが、ちょうど来月(令和4年4月)国内初BD化されるアカデミー賞受賞作品の「普通の人々」(Amazonで既に予約済み)で2度オスカーを手にしているアルウィン・サージェントが脚本を務めている。彼と言えば「ジュリア」と言う作品が有名だが、廃盤でいまだにDVDのみで、ブルーレイ化を望む。ちなみに本作は共同脚本で、僕の生まれた91年に大ヒットした「羊たちの沈黙」(確か、主演のアンソニー・ホプキンスとジョディ・フォスターはダブルオスカーを受賞していたと思う)の脚本を手がけた劇作家のテッド・タリーも執筆している(豆知識的に)。前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。



さて、物語はセントルイスの高級住宅街地。マックス・バロンは、広告会社に勤めるエリート・サラリーマン。だが、2年前に交通事故で最愛の妻をなくして以来、悲しみから抜け出せず、人生に対する前向きさを失って暮らしていた。ある夜、親友ニールの婚前パーティーから抜け出したマックスは、通りすがりのバーに身を寄せた。その時、近づいてきたのは、どこかやつれた中年女ノラ。さっき、マックスが買った品物の数をめぐって言い争った、ハンバーガーショップのレジ係の女だった。彼女は、こんな場末には似つかわしくないマックスに興味を示し、積極的に言い寄った。やがて泥酔したマックスは、ノラの家へ。そこは、彼の清潔な豪華マンションとは大違い。タバコの吸い殻、食べ物の空き袋、使い捨てティッシュが散乱する、見事なほど汚れた部屋だった。

そのままソファーに身を横たえたマックス。夜が白み始めた頃、ふと気づくと、彼の下半身を這うように動くノラがいた。半ば犯すような強引さで、彼女はマックスを奪った。だが、彼女の愛撫には、これまでマックスが味わったことのない、不可思議な、そして強烈な快感があった。翌日、マックスは説明のつかない強い力に引かれ、再び彼女の家を訪れた。それから2人は、酒とセックスに満たされた半同棲生活となった。マックスは27歳、ノラは43歳。だが、そんな事は、2人にとって何の障害にもならなかった。こんな日々が続くうち、身も心も喪に服した2年間は嘘のように消えてマックスの顔にいつしか笑顔が戻っていた。

しかし、彼には、新しい恋人として彼女を友人たちに紹介する事はとてもできなかった。彼女が好奇の目にさらされる事は、分かり切っていたから。ニールの結婚式の日、マックスは母の家に行くと偽って家を出た。それを知って、激しくなじるノラ。信じていたマックスに嘘をつかれたと言う事実が、何よりも彼女を深く傷つけていた。そんなノラに、マックスはこんなに欲しいと思った女は初めてだと叫んでいた。ある日、数年前に別れたきりだったノラの姉ジュディが訪ねてくる。ニューヨークで占い師をしている彼女は、マックスの過去をズバリ言い当てて、彼をたじろがせる。翌朝、ノラがまだ寝ているうちにジュディは出て行った。

見送りに出たマックスは、彼女の口から、ノラの一人息子が酒とドラックに溺れて13歳で死んでいたことを聞かされる。11月に入り、感謝祭が近づいていた。マックスは、この日こそ、ニールの新居で開かれるパーティーで、友人たちに彼女を紹介しようと決意する。当日、緊張した面持ちのノラを車に乗せ、マックスはニールの家へ向かった。出迎えた新妻はごく自然にノラ接したが、客の中には、あからさまに彼女に好奇の目を向けるものもあった。身の置き場のない気分のノラ。晩餐が始まり、ニールの父が政治の話を始めた時、ノラがいきなり立ち上がった。貧乏も知らないくせに!…そう言うと、彼女はそのまま表へ飛び出していく。

生きる世界の違う人々の中で神経をズタズタにされた彼女は、追ってきたマックスさえも、もう受け入れることができなかった。翌日、ノラは「探さないで」と言う手紙を残して店からもう家からも姿を消した。ノラを失ったマックスは、まるで抜け殻だった。ノラの行く先は、たった1人の姉ジュディのところ以外にいない。そう思いつくと、マックスはいてもたってもいられず、ニューヨークへ飛んだ。これまで1度も言えなかった言葉、「愛している」、この一言を告げるために……とがっつり説明するとこんな感じで、4年ぶり位に見返したけどやっぱり大好きだ。何時何時見てもシネマスクエア(今は亡き劇場)の作品の中でもダントツに好きな1本である。今でも覚えている…カタログナンバー94の作品であった。

この映画の良いところは、最初は肉体的にすぐにその関係は恋愛感情へとつながっていくところ。それにお互いに相手に対して抱いた強い恋愛感情に、いかに誠実であり続けるかと言うテーマがきっちりと確立されている。生まれ育った背景も、受けた教育も手に入れた世界観も違う2人は、生活していくが、色々と問題が起きる。この作品の原作は「ホワイト・パレス」と言う小説で、原作は読んだことがないが、ぜひとも読んでみたいなーと思う内容である。こんな映画の出会いを現実に当てはめてしまう自分がいる(笑)。ふとした機会に知り合って恋愛に至る1組の誕生は、一般的に言ってどちらも似通った生活背景を持っているが、この映画では違う。いわゆる勝者と敗者の世界観である。貧困層の女の悲しみと苦しみと富裕層の男の悲しみと苦しみをぶつけ合った作品だ。

それにしても素っ気のないオリジナルタイトルの「ホワイト・パレス」と言う原題名は、日本の考えた「ぼくの美しい人だから」と言う邦題のほうが素晴らしいと思う。だって、ハンバーガー・ショップで提供されるハンバーガーと言うのは無個性的なものであって、誰のものでもない感じがするが、日本人が考えたタイトル「ぼくの…」に関しては、この世に多く存在するコピー品を愛すると言うよりも、自分だけが見つけた大切なものを、僕のものだけと言う意味合いを感じるため非常に意味のあるシンボリックなタイトルだなと感じた。もうすでにタイトルから好きだ。ダサイタイトルをつけることも多いが、この映画の「ぼくの美しい人だから」は最高にいいセンスだと思う。原題は主人公の女性が勤めるハンバーガー・ショップの名前であるが、名前の通り白い宮殿のように美しく飾られていて、1ドルも出せば満腹になれるほどの激安チェーン店であるそうだ。

確かこの作品に寄せられたコメントで、エッセイストの里見恭介氏は、見た目のいかにも心地良さそうな外見、それとは対照的な、大量生産によって生み出される無個性的で画一的な内容と言う、まさに現代そのものの象徴と言えなくもないと言っていたが、確かにそう感じる。とにもかくにも無味乾燥としているタイトルだ。このホワイトパレスと言うお店を調べたら、アメリカの東海岸を中心に広がるチェーン店らしい。さて、ここからは映画の印象的な場面をいくつか紹介していきたいと思う。まずオープニングからセントルイス付近の美しい街並みがこれまた美しいGeorge FentonのMain Title (From "White Palace")が流れる始まり方が、これから素晴らしいラブストーリーが始まると観客をワクワクさせてくれる。

早速マックスが6個ハンバーガーが足らないことに、文句を言いにファストフード店のヒロインのノラと口げんかをするのだが、どうだろう、金持ちとまでは言わないが、贅沢ができるエリート広告マンが、ハンバーガー6個入っていなかったからといって、あそこまで激しく言葉攻めをするものだろうか?と思ったが、まあ人それぞれだからいいとして、この映画はその口喧嘩が元での出会いなるため、非常に必要な場面である。だからそこら辺の考え方の違いはほっといておこう。とは言う物の50個頼んで6個空箱と言うのも驚きである。お店側にも文句を言いたくなる気持ちは分からなくも無い。そんでマックスが立ち寄るバーで早速いちゃつきを見せる2人。ノラがぐいぐいと迫る。ここで「お熱いのはお好き」のマリリン・モンローの話になるが、彼女はマリリン・モンローに依拠している。いわゆる心の拠り所だ。その後に家に行く時に、沢山マリリン・モンローのポスターを壁に貼っている。

そんでここでお互いに大切な人が死んでしまったことを話すのだが、マックスの奥さんが死んだことについてノラが大爆笑するシーンは、いささか笑いすぎだなと思ったが、その後にきっちりと切り返しが用意されている。そんで彼の車に乗って家まで送ってもらうのだがモーツァル好きの彼は早速車の中でカセットテープで Lucia PoppのGianni Schicchi: O Mio Babbino Caroを聴く。そして事故る…(車のフロントが大破する程度)。そんで彼女の家で早速官能的なメロディーとともに夜の営みの描写に変わるのだが、すごく幻想的である。とにもかくにもスーザン・サランドンがエロく濡れている。なんだろう、スーザン・サランドンの女っ気がすごくて、大人のためのファンタジー映画なんだろうなと気付かされる。彼女のオルガニズムをとってもサランドンの魅力が炸裂している。いわば、この映画はサランドンのための映画である。

そんで、K.T. OslinのYounger Menが力強いボーカルで流れ始めてから、2人の数日間の出来事を次から次へとカット割りしていくミュージックビデオみたいな場面も最高である。スペイダーの肉体美も披露される瞬間だし、キャシー・ベイツも初めて登場する。そんでマックスはノラに掃除機をプレゼントして激怒するんだが、彼は部屋が汚いからこれで掃除してほしいと思って購入したのが、かえって彼女の怒りを買ってしまって、キッチンや廊下が汚いと言うのだが、彼女は彼とディナーをするためにキッチンだけきれいにしていて、彼女がキッチンに来なさいと言って、彼が向かってきれいな台所を見て"しまった"、と言うときの表情のスペイダーの可愛らしさと、今後の展開がまたたまらなく良いのだ。2人で彼女のボロボロの部屋での初のディナー…可愛らしいじゃないですか。キャンドルなんか立てちゃって。

そして当時のVHSのジャケットやパンフレット等の写真になっているマックスがノラのスニーカーの靴ひもを結んであげる場面へと変わる。そんでマックスの関係者らと食事をする所で政治の話になって、家に帰ってしまう所はスーザン・サランドンの迫力ある演技が見れる。劇中で日本のメーカーであるキャノンやニコンやオリンパスの話になる画面があるのだが、この時代日本は光学機器メーカーなどが凄くて、凄い経済力で世界を席巻していたなと思ってしまう。今はどん底だが…。そしていよいよクライマックス。女子のようにクッションを抱きしめて顔を埋めながら顔を赤くしてみてしまうことをこの映画を見るたんびに女心に変わる自分の姿がある。このラストのハッピーエンドは最高である。もう、あんなアメリカ的な終わり方は最高。


この時代から数多くのサクセスストーリーと言う、いわば知的成り上がり物語と言う映画はたくさん作られているが、大抵そういう場合の男女の年齢はこの作品と間逆である。大体男性が年上で、女性が年下なのだが、この作品の面白いところは、それが逆転している。「プリティー・ウーマン」のジュリア・ロバーツとリチャード・ギアも逆だったし「マイ・フェア・レディ」だってそうだ。そもそも男は文学とモーツァルトを愛していて、女は教養も金もなく、散らかり邦題の家に1人で住んでいて、カントリー&ウェスタンを聴きながら生活しているのだ。こんな2人がどうやったら出会えるのだろうか。そこがファースト・フード店って言うところが、この映画のミソである。あまり詳しいことを言うとネタバレになってしまうからあまり言えないのが残念である。

ところでジェームズ・スペイダーの白く美しい顔はこの作品の見所の1つだろう。謎めいた、"ミステリアス・スキン"と言う言葉が似合う男だ。そのボンボンが塾された女性ノラの世界へと迷い込む様は滑稽であるが感動的でもある。それにしても、いわゆる金持ちと言うのは排他的であるが、主人公のマックスはそうではない。どちらかと言うと少しばかり堅物な感じがする。なぜなら幼なじみの愛妻をなくしてかなり経っているのに、いまだに妻を裏切ることができないようであるからだ。そんな彼がジャンク・フードを提供する貧困層の象徴的な職業(悪気は無いが当時はそうだったと思う)で、ヒエラルキーの中でも底辺の、それも40歳を超えたおばさんを好きになってしまうのだから、これまた映画出来である。ところが、多様性重視の今の世の中、このような出会いや、このような生き方は定着してきている。

相変わらずスーザン・サランドンを見ているとハードボイルド・ヒロイン彷彿とさせる迫力がある。この映画でも、彼女はマックスからハンドクリーナーを渡されそうになったときに、私は汚物じゃないと激怒するシーンなど正にそれである。アメリカ映画のヒロインはプライドをきちんとを保っているので、見ている観客はすかっとする。まさに本作のノラは掃き溜めの中にある毅然としたプライドを維持していた。歳の差カップルなんて今時珍しくないし、この映画の撮影時だって珍しくないとは思う。ただ、女性がこの作品を見ると、自分たちはこれからどんどん歳をとるしかないから、万が一映画のような出来事が起きたら、歳をとってでも希望を持って生きたいなと思うものなのだろうか…。

ところで1971年に大ヒットした映画「ある愛の詩」と言うものがあるのだが、その作品のアリ・マッグローと言う役者がモーツァルトの音楽を愛していたのだが、この作品のジェームズ・スペイダーもキャラクターでモーツァルト好きになっている。この作品の音楽を担当したジョージ・フェントンのソナタ風の味わいの曲や、サックス、ギター、シンセサイザーの細やかな音が耳に残る。彼と言えばリチャード・アッテンボロー監督の「ガンジー」のサウンドトラックで有名になった人物で、彼の音楽がこの作品素晴らしい印象与えている。最後に余談だが、原題の「White Palace」は主人公のノラの勤めるハンバーガーチェーンの名前である。この店の1個49セントのハンバーガーが、マックスとノラの運命の出会いを演出するのだからなんとロマンチックなんだろう…ニヤリ!長々とレビューしたが、この作品をまだ見てない方はお勧めする。ラブストーリーと言えばで若い美男美女が主人公と言うのが当たり前だったが、たまには歳の離れた同士のKケースの物語を見るのも良いだろう。存分に楽しんでほしいと思う。
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