ming

プラダを着た悪魔のmingのレビュー・感想・評価

プラダを着た悪魔(2006年製作の映画)
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美しすぎるあっという間の2時間

話の流れは良くあるうまくいかない新入社員が様々な事を学び吸収して上司から頼りにされる話だけど、最後が想定外だった

この物語でもあったように、仕事が充実すると恋愛はうまくいかない
実際にもそうなのかなと思うと、どちらも大切にしたいけど最終的にはどちらを優先する事が自分の幸せになるのだろうと思う

"仕方なくそうなった"
自分はそう思っていても、実際は自分で選択している。周りからはそう見られる。自分のとった行動に責任を持たなければならない。相手を傷つけることもあるかもしれない。だけど、自分の行動が時には自分を助けてくれる。自分を見てくれている人が助けてくれたり、認めてくれたりする。

人生辛い時や苦しい時もあるけど、自分の頑張りが自分を助けてくれるなら少しは頑張ってみようかなと思う

2回目視聴

1回目見た時とだいぶ印象が違うかも
ミランダの期待を裏切らないように言われたことをしっかり守ってきたエムよりも選ばれるのはミランダの想像を超える働きをするアンディで仕事をしていく上ではしょうがないかもしれないけどやるせなさが残る(自分がエム側の人間だからかもしれないけど、でもあんなに努力をし続けるのは本当に凄い)
自分でお金を貯めて服を買っているであろうエムと会社の服を借りるアンディ

雑誌を読むことは好きだしハイブランドの持つファッションへの概念はとても尊敬できる

だけど、どうしても日本のファッションにおける番組での取り扱いや雑誌を見ていると空っぽに見える。自分の内面の外見が一致しておらず今の流行りに合わせた画一的なファッションやインテリア、綺麗に取り繕った外面、そこに自分が存在していない様に見える。自分はそうなりたくないと願っていてもどうしても自分が弱いからそこに縋りつきたくなる。

外見を美しくし続けるためには日々の努力が必要、だけどそれは内面も同じではないか。なぜ外見を美しくしていないことが努力をしていないことになる?

モデルや女優に必要だと言われる内なる美とは何か、スーパーモデルたちが持つあの精神的な強さは何か、それを知りたくてこの映画を見直したけどその答えは分からなかった

根本に"ファッションがとても好き"という軸があれば自分の弱さを埋めるためのファッションではなく、自分の個性を表現するファッションになるのだろうか、エムの様な努力をし続けることが精神的強さに成長していくのだろうか
あの空っぽにみえるインスタグラマー達も着飾っていくうちに内面も成長していくのだろうか

だいぶ映画から脱線しました
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