湯っ子

マイライフ・アズ・ア・ドッグの湯っ子のレビュー・感想・評価

4.5
高校生の頃に日比谷シャンテで2回観て、レンタルでも何度も観ていた映画。
配信に来ていたので、20年ぶりくらいに鑑賞。

記憶というのは不思議なもので、古い記憶からは嫌なことや不快なことが消える傾向にあるらしい。
新しい記憶は逆で、嫌なことや不快なことの方が印象に残るんだとか。
お年寄りが「昔は良かった」というのは、そのせいらしい。

この映画についても、私はヘンテコな人たちがが楽しく暮らしている、童話に出てくるような村と、少年イングマルと村の女の子サガがかわいかった印象が強く、幸せな余韻しかなかった。
年月を経て再見して、それだけではない映画だったことを思い出した。

何度も観た映画だから、全てのシーンに覚えがあったけど、少年イングマルの状況は、なかなか過酷だ。
パパは仕事で海外、ママは病気、お兄ちゃんにはいじめられる。周りに合わせることよりも、自分の思いに正直だから、何かと問題児扱いされる。
何より大好きなママが病気なのが寂しくて辛くてしょうがない。
自分を慰める方法は、宇宙船に乗せられたライカ犬より自分の方がマシだ、と言い聞かせてることだけ。大好きなのは犬のシッカン。

時代もあるのだろうけど、イングマルの両親はもっとやり方がなかったのかと思ってしまう。
イングマルのお兄ちゃんだって、弟をいじめるのは寂しさの表れだと思うし。
街にあるイングマルの生家は、辛いことだらけ。だから、彼が村にやってきた日、預かり先の叔母さんに「あんたが太陽を連れてきたのよ」って言われた時に、観ている私達が心から安堵したのだと思う。

村の人々はヘンテコで優しくて、イングマルはすぐに馴染み、楽しそうに見える。
でも、ママのこと、シッカンのことを考えない日はないのだ。
彼は悲しみと共にありながら暮らす方法を体得している。幼くして、というより、幼いから、子供だからこその逞しさなのかもしれない。

この世界には、悲しいこと辛いことはたくさんあるけど、楽しいこと面白いことはもっとたくさんあるはず。
それを探しながら生きてゆきたいな。
観終わって、そんな風に思えた映画でした。
湯っ子

湯っ子