アンゲロプロスの作品は戦争によって引き離された家族や故郷を失った悲劇を描いているものが多く、しっとり染み入る、普遍的な哀しみです。本作の余韻もまた素晴らしく、いまだアンゲロプロスの詩的な映像の中から抜け出せないでいます。
主演にハーヴェイ・カイテル(役名は映画監督A)を置き、Aが幻と言われているマナキス兄弟の未現像のフィルムを探しに、戦火のバルカン半島を縦断していきます。
マナキス兄弟は実在した写真と映像のパイオニアで、バルカン半島の歴史の証人でもありました。記録映画を撮り続け、当局から取り締まられたり、それでも日々の何から何まで撮り続けたそう。
Aは記憶の断片を辿って時代を遡ったり戻ったり、時間を超え、時にはマナキス兄弟に成り、繰り返す悲劇を体験していきます。
長回しの中で、いつの間にか時間が進み時代が変わっている見事な映像は、これぞアンゲロプロスのマジックで、断片の記憶がシームレスにつながっていました。
また、繰り返す悲劇を表すために、同一人物が時代と国境を超えて何役も演じます。本作では別れざるを得ない4人の恋人でした。
バルカン半島の複雑さには理解が追い付かないのですが、本作では「国境を越えてもまた国境がある」とあるように、バルカン半島を影響下に置いていたオスマントルコが弱体化したことで、多民族が独立しようとして国境の線引きが入り乱れた紛争が背景にあります。
アンゲロプロスがたびたびモチーフに用いる川や港。とくに川は隔てる国境の意味だったのが、本作では川は断絶ではなく、国を繋げるメタファーになっていました。
本作でも登場した巨大レーニン像。川上りシーンはインパクト大です。川上からきた思想を送り返しています。
現像の技術者の言う「霧の中は安全」の意味は深く、互いに(民族の)違いを明確にせず、声を上げず、存在しないかのようにうやむやに生きること。それが平和的に生きるためのコツなのだと感じました。
「ユリシーズ」はギリシャ神話のオデュッセウスの英語読みで、長い苦難の旅路の意味。Aが最後に観たものが旅路の成果だったんだとしたら、それは人生の知恵なのか、あるいは希望なのか、気になりました。
この美しい映像は大きなスクリーンで観たかったです。アンゲロプロスの特集、どこかでないのかな。
川喜多和子さんへの献杯のシーンがありました。