とうじ

フィツカラルドのとうじのレビュー・感想・評価

フィツカラルド(1982年製作の映画)
5.0
単に行動力だけずば抜けている人、というのは、意外とどこにでもいる。
そういう人は行動に伴う思慮が足りてなかったり、知識や教養が不足していたり、単純にそれを全うしうる能力にかけていたりするのだが、「立ち止まって考えることを充分にせずに行動した小さな事が上手くいった」という経験則に基づいて、実際に準備が足りないかもしれないという自覚はあっても、「とりあえずやるしかない!」と一歩を踏み出すのである。

そういう「当たって砕けろ」的な精神で行動し、成功を掴み取る人は少なくないし、成功するには、多少そのような無謀さも持ち合わせることは必要なのかもしれない。また、そういう行動力を持った人に魅了され、引き寄せられる人々というのも、大量に存在する。今の社会を俯瞰して見てみると、逆にそういう風に成功した人が多すぎるからこそ、新自由主義的社会の、優しさに欠けた凋落に拍車がかかっているという部分は絶対にあると思うが、いざ成功を手にすれば、そういうことはどうでも良くなるのだろう(特にそういう思考プロセスを持っている人は)。

しかし、そうして成功した人々の足元に、そのような行動原理によって失敗、とは言わないまでも、思うようにいかずに、実現しなかった未来の亡霊に歳悩まされている人々が山のようにいるという当たり前の事実も、過小評価してはならない。

そういう人々は、生きている限り、まだ行動できる限り、希望はある、と言う分には簡単なのだが、実際に自分の行動が失敗してそのしっぺ返しを食うのは、いうまでもなく、自責にしか心が向かわないという点で、耐え難いほど苦しいものだろう。

本作は、そのような「当たって砕けろ」精神で実際に砕けてしまった大馬鹿者達への賛歌である。それは当たり前のように不道徳で、反社会的で、狂おしいほど自己中心的である。しかし、夢に向かって、何の犠牲も厭わず、無謀な挑戦に体当たりする主人公の図太い魂からは、否定し難いエネルギーが発散されており、それは無視し難い揺さぶりを、観客の心に与えてくれる。

そういう意味で、本作は危険であり、とても社会にいい影響を及ぼすとは思えない。しかし、芸術である時点で、そのような善悪の二元論的な観点には束縛されていないのであり、明らかに躁病を発症している主人公の狂気じみた行動力を、勇者の伝説のような語り口で扱い、彼に盛大な賛辞と共にハッピーエンドを迎えさせてあげる本作は、紛れもない芸術作品であることは間違いない。

本作をおすすめするのが難しいのは、そういう思考の逡巡さえもやはり、本作自体を目前にしては、意味を失くしてしまうような気がして仕方がないからだ。そんな本作は、見せ方以前に、映っている被写体自体が正気の沙汰とは思えない、ヴィジュアルの圧がすごい傑作であり、映画の力というか、人間の創造力自体が際限を超えて暴風のように吹きすさんでくるのが感じられる、とんでもない作品である。
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