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卒業のKtoのレビュー・感想・評価

卒業(1967年製作の映画)
5.0
【ひとこと】
神懸かり的に面白かった。
1960年代から始まったアメリカンニューシネマの先駆者的作品で、映画史を踏まえて観るともちろん面白いけど、そんな背景知識を一切知らなくてもめちゃくちゃ面白い最高品質のコメディ映画。Netflixのセックスエデュケーション的なユーモアが随所に散りばめられていて、超笑える。

【そもそもアメリカンニューシネマとは、なぜ「卒業」が重要なのか】
従来の保守的なハリウッド作品(政治、暴力、SEXを描写しないという規則)に大衆が飽き飽きしていた頃、1960年代のカウンターカルチャーに呼応した形で、旧来の年功序列の破壊や秩序からの逸脱を礼賛するスタイルの映画が流行した。「明日に向かって撃て」や「イージーライダー」など多数の名作が生まれ、それらの作品群はアメリカンニューシネマ(旧来のハリウッド作品に比して”NEW”なスタイルということ)と呼ばれた。「卒業」はそのスタイルの舵を切った最初の作品なので重要とされる。

・1950年代後半にヨーロッパ(主にフランス)では”ヌーヴェルバーグ”というスタイルの「奇抜、前衛的、お洒落、ナンセンス、軽快」な映画が流行しており、ニューシネマはそれに大いに触発されて出現したといわれている。

【感想と考察】
(町山さんの解説を大いに参考にしています)
・歩くエスタレーターのオープンニングは、タランティーノの「ジャッキーブラウン」でオマージュされている。タランティーノやスコセッシも「卒業」に非常に影響を受けていて、色んな映画でオマージュを捧げているそう。
 映画技法としては、エスカレーター式に進んできたベンジャミンの人生だけど、自分の足で歩く人々に追い抜かれて気力を無くしかけているというメタファーだよね。

・最初のパーティシーンで嫌がるベンジャミンの顔が面白い。パーティーなのに、会場の様子が全く映されなくて、顔のクローズアップだけ追っている斬新な撮影。
 “Plastic”は映画史に残る名台詞といわれてるらしい。”Plastic”=“プラスチック”≒“偽の”という意味もあって、パーティにいる人たち(上流階級)の軽薄さとか紛い物であることの痛烈な皮肉にもなっているらしい。

・ロビンソン夫人とのやりとりがぎこちな過ぎて本当に笑ってしまう。監督がコメディ出身らしくて、滑稽なやりとりが神がかり的に上手い。童貞のドギマギする様子が面白いのは時代や国境を超えて普遍的なのかもしれない…。セックスエデュケーションのユーモアに近い。
 サブリミナル的におっぱいが映るのも、完全にコメディだし本当に笑う。

・ウォータースーツで登場させられるシーンも死ぬほど笑った。POVな撮影方法もかなりシュールだし、水から顔出しても手で押さえつけられるところとかの非情さが最高。最終的に水中で落ち着いているのは、母体回帰のメタファーとも言われているらしい。エリートコースを順調に進んできたが、社会人となりいざ世に解き放たれると何をしていいか分からないベンジャミンの”幼児退行”なのだろう。

・最初のホテルのくだりもめっちゃくちゃ面白い。「歯ブラシを持ってきた」、公衆電話、席を立つ時にテーブルに足をぶつける、部屋番号を伝え忘れる…。
 部屋に入ってからの一連の流れは、M-1グランプリ見てるんかってくらいジョークの嵐で凄い。煙草の煙を口にためたままキス、「ハンガーは針金?木?」、右おっぱいを触る、「映画みにいきませんか?」あたり。
 当時人気だった二枚目俳優の出演を断り、当時あまり有名でなかったダスティンホフマンを起用したセンスが凄い。これ、普通のイケメンがやったら全然成り立たなかったと思う。(ダスティンホフマンも十分かっこいいんだけどね)

・かつてアートを専攻し、世の中に反発していた”若者”であったけど、いまは昼間家に閉じこもって郊外の平凡な家庭の妻になってしまった女性の象徴=ロビンソン夫人(その当時の米国郊外ではそういった専業主婦が多く存在し、彼女らの社会活動や性活動が夫により著しく制限されていたそう) 
 そのロビンソン夫人(=保守、旧体制、ひいては当時の退屈なハリウッド)を克服し、乗り越えていくベンジャミン(=若者、リベラル、ニューシネマ)という構図になっている

・エレインとのデートでストリップ行ったときのベンジャミンがサイコパス過ぎて面白い。「凄い技だ、できる?」
 両親に結婚報告()をしたときにパンが焼き上がるのは、タランティーノのパルプフィクションでもオマージュされているよね。
 とにかくエレインをストーカーするベンジャミンが面白い。バスの横ダッシュで追いかけて、「やあ偶然だね」とか。とにかく編集のテンポがよく、ギャグの手数も多くて、なかなかシリアスな場面でもユーモアが途切れないのが凄い。永遠の名作である所以だよね…。

・最後のシーンはあまりにも有名。芸人 ニューヨークもこれに似た設定のコント作ってるよね。最後はからずもベンジャミンがキリストと重ねられるのも、粋。
 バスに乗った二人が、「幸せ満点な笑顔」ではなく、「緊張感を残した真剣な眼差し」なのも意味深。当時の保守的な映画界を前衛的な方法で克服した若者の決意表明にも重なる。
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