カラン

しあわせな孤独のカランのレビュー・感想・評価

しあわせな孤独(2002年製作の映画)
4.5
1995年にトリアーとヴィンターベアが提唱したドグマ95は2005年に終息することになったようである。ドグマ95のサイトには「純潔の誓い」に即していると認定された35本の映画がリストアップされている。♯1はヴィンターベアの『セレブレーション』、♯2にはトリアーの『イディオッツ』が挙がっている。スサンネ・ビアの本作『しあわせな孤独』(2002)は♯28となっている。

ドグマ映画はいくつかしか観ていないが、素晴らしいものが多い。「純潔の誓い」を全て厳密に遵守した映画を観たことはない。以下はwikiにある10の誓い。

「純潔の誓い」

1. 撮影はすべてロケーション撮影によること。スタジオのセット撮影を禁じる。
2. 映像と関係のないところで作られた音(効果音など)をのせてはならない。
3. カメラは必ず手持ちによること。
4. 映画はカラーであること。照明効果は禁止。
5. 光学合成やフィルターを禁止する。
6. 表面的なアクションは許されない(殺人、武器の使用などは起きてはならない)。
7. 時間的、地理的な乖離は許されない(つまり今、ここで起こっていることしか描いてはいけない。回想シーンなどの禁止である)。
8. ジャンル映画を禁止する。
9. 最終的なフォーマットは35mmフィルムであること。
10. 監督の名前はスタッフロールなどにクレジットしてはいけない。

本作『しあわせな孤独』は2.と5.と7.の誓いを微妙に踏み外しているかもしれない。そこはさじ加減の問題なのだろうが、ギリギリのところが面白い。


☆2の音声について

冒頭、女がレストランの席に座っている。音楽はオープニングからの続きでボーカル曲が大きく鳴っており、いきなり誓いを破っているようだが、女に近づいた男が口パクで話しかけると、女はイヤフォンを豊かな髪の奥から外す。音楽は女のイヤフォンの音であったのであり、後付けで映画内に着地する。つまり、結果的に誓いを守った格好である。


☆3の手持ちカメラについて

この冒頭のシークエンスはプロポーズで、男が女に指輪の小箱を差し出す。テーブルの男女をクロースアップと超クロースアップで眉の辺りや口許を写すのだが、左手の女⇆テーブル⇆右手の男とカメラは動き、ほとんどハートの軌跡を描きながら、スクリーンにしあわせが形態的に浮かび上がっていた。この映画は愛と孤独の対比に捧げられているのだから、ここ、このレストランのプロポーズのエモーションを描き損ねるわけにはいかない。


☆5について

光学合成やフィルターではないとしても、オープニングはサーモグラフィーの画面に変換して通りの人や木を写す。物の温度は目に見えない。見えない温度を定着させようという試みなのだろうが、ここはあまり面白くない。レンタルDVDのマスターリングが悪いのかもしれないが、画質が悪くて安い思いつきのように見えた。


☆7今、ここだけを描く

想いが募り、溢れると、この映画は8mmをブローアップして、映写機の音を付けて(2に抵触して)、今、ここで実在している事の逆が溶け出してくる。男との関係が張りつめて、受け入れがたくて、言葉が詰まり、裏腹なことを言ってしまう曲面で、動けない男が自分の方に向き直ってくれたり、頬をなでてくれたりするのである。これは回想やフラッシュバックではない。今、ここでは事実にならないが、事実になって欲しいことである。悪くない。が、映写機の音は不用だ。また、複数の人物に使うべきでなかったのではないか。
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