シーケー

魔法にかけられてのシーケーのネタバレレビュー・内容・結末

魔法にかけられて(2007年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

見てる途中でこれ昔テレビで見たって気づいたけど、とても面白い映画だった。

ディズニー的なおとぎ話の世界と現実としてのニューヨークの世界のギャップを楽しむ構図だけれど、この中に恋愛や結婚の価値について伝えてくれるものがあるのがこの映画のいいところだろう。
現実社会の現実たるゆえんは仕事だ。おとぎ話の世界ではプリンセスや王子は仕事をしない。プリンセスになる前のシンデレラがひどい扱いでさせられる労働も家庭内の家事に限られる。本作のジゼルは動物を使うので労働している感じも薄いが、愛によってプリンセスとなりその生活を抜けることを目指している。
逆にロバートは弁護士で仕事をしている現実の人間だ。でも離婚調停で儲けている設定が面白い。愛の失敗の現実を知っているとも言えるけれど、愛の現実的な経済的な価値をよく知っている。正反対な2人のようでいて愛の価値の大きさを知っているのがこの話が成立するベースのように思う。その意味でジゼルがプリンセス教室みたいなもので働いているエピローグは、プリンセスがドラゴンを倒すのと同じくらいこの映画らしくていいところだ。二人の成長と妥協の物語でもある。
王子とナンシーの関係もご都合主義的ではありながら、お互いを理解して愛することと、理解を経由せずに愛することのどちらに愛の本質があるのかという問いかける。ジゼルがデート重視になったことに王子が困惑している伏線がきいているのがよい。(この映画の王子は滑稽だが、個人的にはせめてこの王子のようにありたいと思うときがある)

別の視点の話だが、愛の価値と同様にこの話を成立させるのはニューヨークの文化的な力が大切だ。例えば転生したのが北関東のイオン的郊外世界(すいません)とかだったら無理だ。美しい水辺のセントラルパークもないしあんな舞踏会も開かれない。ネズミや電車の高架さえもらしい感じになるニューヨークにはある種おとぎ話的な力がある。少なくとも映画の中では。