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東京夜曲のkojikojiのレビュー・感想・評価

東京夜曲(1997年製作の映画)
3.7
No.1595
2024.01.24

舞台は下町の商店街。
数年前に家族を残して家を飛び出したきりの浜中康一(長塚京三)が帰ってくる。
妻の久子(賠償美津子)は何事もなかったかのように夫を迎える。
久子に思いを寄せる作家志望の青年・朝倉(上川隆也)は、浜中への反感から、浜中と久子の過去を探る。そして浜中電気の向かいにある「喫茶大沢」を経営するたみ(桃井かおり)は、かつて浜中と恋仲だったことを知る。実は久子は大沢を強く思っていて、結果として残されたもの同士が、思いを秘めて結婚をしたという形になっている。

この狭い下街の商店街な中で大沢夫婦、浜中夫婦の4人の愛が交差して、感情は入り乱れているはずだ。
 しかし、この町は何もなかったかのように時間が流れ、今もその姿を変えず、そこに住む人々変わらず日々の生活を送っている。

誰もそれを語ろうとしない。
「なぜ、愛する人が愛する人と結ばれないのか。」

ある日
たみの喫茶店の集まりで酔って一人残っていた浜中が帰ると言って表に出ようとした時、
たえが声をかける。

「ねえ、お茶漬けを食べて行かない?」

浜中は振り返りたえを見つめる。
思い詰めていた感情が堰を切る。
考えている。
そして「ああっ」と答える。
そして二人が互いを激しく求め合う姿が映し出される。しかしこれはこれまでの二人をとり戻すというよりケジメのように見えるのだ。

静かな映画だ。ひたむきな愛。寡黙な主人公。愛しているのにそれをお首にも出さない女。そんな二人の関係を知っているにもかかわず、問いただすこともしない妻。
 
長塚京三、倍賞美津子、桃井かおりという昭和の個性派の俳優三人が油が乗り切った時代の映画だ。セリフの少ない難しい役をまさに情感で演じ切る。彼等の共演を観るだけでも充分に価値がある。

エンディングは高田渡が突然歌い出した。
高田渡のエンディングは初めてだ。
こんな映画で流れるとは思いもしなかった。

さびしいと いま
いったろう ひげだらけの
その土塀にぴったり
おしつけた その背の
その すぐうしろで
さびしいと いまいったろう

詩は石原吉郎だ。「さびしいと いま」

実はこの歌が一番心に響いた。
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