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ラビット・ホールのtakのレビュー・感想・評価

ラビット・ホール(2010年製作の映画)
3.3
最近、僕の身近な人が小学生のお子さんを交通事故で亡くされた。遺族や葬儀の司会から紹介される家族のエピソード、生前好きだった曲。あれ程心に刺さるような葬儀に参列したことがなかった。それに僕は大学1年の夏、高校時代の友人を交通事故で亡くしている。その後、彼のご両親は離婚してしまった。それだけにこの映画を、僕は穏やかな気持ちで見ることができなかった。このレビューもなかなか筆が進まなかった。この映画の主人公は交通事故で4歳の息子を亡くした夫婦。悲しい記憶を早く忘れてしまいたい妻と、息子との思い出にいつでも触れていたい夫。二人の溝は次第に大きくなっていく。そんな時、加害者の学生を見かけたことから、妻は彼に近づこうとする…。

大事なものを失った悲しみは当事者でないとわかるものではない。また悲しみへの向き合い方も人それぞれだ。僕らはそれを頭で理解していても、勝手な見方をすることがあるものだ。交通事故遺族のサークルに参加して、自分たちだけではないことを感じるのも一つの方法。夫は参加する意義を感じたが、妻はどうしても周囲と合わない。いちばん悲しみを共有してくれそうな配偶者とも意見が合わない状況になれば、お互いに自分と同じ思いを理解してくれそうな相手を探すことになる。息子の事故に自責の念がある妻にとって、それは加害者の少年だった。観ている最中、「どうして彼と会わねばならないのか?。加害者だぞ。」と思っていた。それは映画のクライマックスで夫が口にしたことと同じだ。しかし、鑑賞後にじっくり考えてみれば、息子の死に責任を感じている点では二人は共通している。だからこそ、二人はまた会いたい、話したいと思えるようになったのだろう。一方で夫はサークルで知り合った女性(サンドラ・オー)と意気投合する。二人は理解者が欲しくってお互い寂しくて仕方ない関係。車でマリファナを吸ってサークルをサボってしまったり。だが、彼女がパートナーに去られたことを告げられると、「僕は妻を愛しているんだ」と繰り返す。結局それ以上に接近することはないのだが、夫婦それぞれの思いが実に丁寧に描かれていく。ミッチェル監督の視線は優しい。受け取り方によっては一見理解しがたい二人の行動を、丁寧に綴っていくことで次第に観ている側に共感させていく。

少年が描いたコミック「ラビットホール」(「不思議の国のアリス」でウサギを追ってアリスが落ち込んだ穴)で、息子がまたこことは違うパラレルワールドででも生きていてくれたらと思うようになる。この世での生を失った悲しみは消えないけれど、何もかもがうまくいっている世界がきっとある。それは彼女にとって気持ちの救いとなる。ダイアン・ウィースト扮する母親が主人公に言う「岩のような悲しみもいつかポケットの小石に変わる」という台詞もいい。大事なものを失った人の心を表現した見事な表現だと思うのだ。冒頭に書いた方々がどんな思いでいるのか、本当に理解することはできない。でも僕らは、小石になりつつある悲しみの存在を理解することだけはできるのでは。

北九州映画サークル協議会例会にて鑑賞?
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