昼行灯

ヒロシマモナムール/二十四時間の情事の昼行灯のレビュー・感想・評価

3.8
どうしても埋められない原爆との距離を持つ意味では、わたしもこの映画の女であり男なんだなあ。原爆を他者の視点から描いた作品で、自分が他者として共感するとは思わなかった

最初の場面では2人の重なった肌がアップで撮られていて、その2人が誰なのか、その2人がボイスオーバーの主なのかというのが不確かな状態で始まっていたから、そのボイスオーバーの内容は特定の2人の会話というよりももっと抽象的な、この映画を共有する全ての人に向けられたようなものに思えた。2人は最後まで名前を呼び合うことも無く、読んだところでそれは地名に過ぎないのだから、この作品を小さな物語、メロドラマとして消費すべきでは無い。ここで地名は任意の名前を代表するための文字列にすぎない。
とはいえ、アラン・レネが物語の後半で1組の男女の関わりを閉鎖的に描いていたのは事実だといえる。そこには男の「君は少しも理解していない」という言葉どおり、原爆を落とした側でも落とされた側でもないフランス人には原爆の現実など到底理解できるものでは無いという考えもあったのかもしれない。だからこそ原爆の惨状を表現するにあたって『ひろしま』など日本人による戦争映画を多く引用していたのだろう。彼にとって原爆は映像が示すように資料館に陳列された、記録映画にドキュメントされたものでしかない。だから冒頭の男の乾いた睦言はアラン・レネの自分自身に向けた批判でもあったのかもしれないけど、冒頭では女の見た原爆の資料を観客も映像として見ているわけだから個人的な内省でもあり普遍的な訴えでもある表現になっている。実際自分も観ていて、どこまで原爆の資料を目にしても、やっぱり惨状を客体化して悪くいえば見世物として見てしまう自分がいるんじゃないか?と気が沈んでしまったし、そういう居心地悪さというのをうまく表現していると思った。

後半では2人の関係は忘がたい、忘れてはならない記憶と自己との関係へとテーマを広げていく。ラストではお互いを地名で呼び合うわけだけど、2人の関係性は本当に対等なのか?というのは疑問に思う。男の方はきっと家族は原爆の被害を受けたけど、自分だけそれを逃れて今を生きてしまっているという事情があるのだろうけど、それはほとんど語られない。そもそもドイツ人将校との恋と原爆は重み違うだろという突っ込みがないではない。恋は好きでしたけど、原爆は違うでしょっていう。それどころか、女は男のことを恋をした外国人の男という意味で完全にドイツ人将校と重ねてしまっている。それなのに男が女を愛する理由はどこにあるのだろう。

2人が原爆写真のプラカードを持った群衆を見物していたシーンで、2人の傍には観衆しかいなかったのに、2人の顔がアップになったあと再びミディアムショットになると、原爆で負傷した少年(実際にはおそらく劇中劇の映画の役なのだと思う)が女の隣に立っていたというのが亡霊、というか原爆の記憶そのものがその場にたち現れたような演出に思えて震えた。

広島の夜の街がネオンは煌々と照っているのに不思議と人気がないのが幻想的で美しかった。ちょっと世俗的なリミナルスペースみたいな?
あと新広島ホテルのドアノブ位置高すぎワロタ
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