井出

ヒロシマモナムール/二十四時間の情事の井出のネタバレレビュー・内容・結末

4.6

このレビューはネタバレを含みます

アランレネは、広島を死んだドイツ兵との許されざる初恋とその街ヌベールだと考えているらしい。原爆が落とされ、大きな被害を受けた広島と、恋人が殺され、非国民だと言われ名誉を傷つけられるに至った初恋のどこが似ているのか、正直分からないが、しかし、忘れたくても忘れられず、しかも忘れてしまいたくないし、忘れてはならないことという点ではあまりにも似すぎていることに気づいた。それくらい複雑な感情があるし、フランス人の彼がそう考えてくれるだけで、私は嬉しい。それだけで見た甲斐があった。
それを男女の恋愛で表現している。会いたいけど会いたくない。別れたくないけど別れたい。忘れたいけど忘れられない。そんなアンビバレントな感情が入り乱れている。私たち、というより、当時の日本人の観客にとってはまさに、広島は、死んだ恋人、離れた故郷に抱くそれと同じ気持ちを抱いていたのではないかと思った。そして彼はフランス人として、戦争でただれた肌をすり合わせるように、日本人の心中を察しようと努力してくれた。
彼は理解がいかに難しいことかを知っていると思う。映像では、時間の経過とカメラの移動によって、事物の表面をよく見ることができるし、時間の経過にのせて言葉も聞け、感情を表現できる音楽も理解を助けてくれるが、しかしそれでも、登場人物の心を、広島の苦しみを100%クリアに理解することは難しいということを映画でも表現していると思う。だから分かっていないと頻繁に言われるし、実際、見ている私たちも、彼らの無表情さ(詩的とも言える)にもやもやするし、映像であっても情報が足りず、意味不明なシーンがあったりする。人の心を知った気にさせない工夫が、たくさんある。それでも知ろうとする努力が、忘却と戦う術でもあるとも示している。しかし、そんな簡単な当為論ではない気もする。
忘れることの恐怖のなかでも、忘却してしまう、これも真であるとも言っている。それは、自然に消え去っていくかもしれないし、周りに合わせて忘れたふりをしているうちに忘れてしまうこともある。園子温の希望の国でもあったが、苦しみや恐怖をいつまでも抱き続けると、それを忘れようとする人たちに排除され、生きづらくなってしまう。たとえそれが正しいことでも、窒息してしまう。こんな風にして、そのことと、それを忘れる恐怖を忘れてしまうのだろう。そんなことをこの映画は思い出させてくれる。また、忘れようと強く意識するほど、忘れられなくなるという逆説も言っているように見えた。
ネオンの広島がどこか寂しげ。
書いているうちに、感じたことがうまく書けないことを知った。文章にすることができない。感覚的で、映像でしか表現できないものを、この映画は捉えている。レネはそれを考えて脚本を作り、編集をしている。もっとすごいのは、作ったレネさえ、分からない何かが写っているということ。
井出

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