ぼさー

オープニング・ナイトのぼさーのレビュー・感想・評価

オープニング・ナイト(1978年製作の映画)
4.1
一人の人物の複雑な内面や言動にフォーカスして描いた作品。ゆえに他の登場人物たちはステレオタイプな固定キャラとして言動を繰り返すように演出されていた。マニーもディビッドも演出家、製作者といった役割に応じた言動をするキャラとして描かれており、主人公のマートルのみが複雑な心情を表出させていて際立っていた。

現在の自分、若い頃の自分、舞台上で演じる自分、舞台の役としての自分、酔っている時の自分、女性性としての自分…といったさまざまな自分が決して説明調にならずに入れ替わり描写されていて、鑑賞していて混乱させられた。しかし、人間とは本来そういった複雑な人格を持った存在ではなかろうか?

そうやって複数の人格を入れ替わりして生活しているものの、極端な入れ替わりを繰り返すと周囲の人たちだけでなく、自分自身も疲れてしまい消耗してしまう。そんな人間の精神の危うさをも本作では描かれていたと思う。

禅思想のような文化を持つ日本では静かで抑制的な人格でいる訓練をしてきているが、自由の国ではさまざまな人格を表出し傍若無人に振る舞うことへの躊躇が少ない。そういう文化圏の人間が酒やドラッグに溺れやすいことの警鐘が描かれていたと思うし、ショービジネスにおけるビジネス至上主義への批判も描かれていたように思う。

本作は危機を克服してハッピーエンドに幕を閉じたかのような結末でありながら、実は、酒の力による逃避や周囲に迷惑をかけようが結果を出せば万歳という後味の悪さが見え隠れする。そういったさまざまな問題提起が人物劇のなかに盛り込まれていてとても秀逸な作品だと感じた。

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2021年に中川奈月監督作『彼女はひとり』を鑑賞し、上映後のトークイベントで中川奈月監督が『Opening Night』のような作品を撮りたかったと語っていた。それ以来気になっていたのだがアマプラ等では観ることができず、やっと劇場で観ることができた。

本作で登場する17歳の霊とマートルの関係の描き方がよかった。マートルは霊に翻弄されているようで、実はマートル自身が都合よく霊を扱い内なる葛藤の捌け口としていたようだった。自身の精神に都合よく神を使ったり霊を使うのも多くの人間がやっていることである。そのことを肯定的ではなく怖ろしく、そして奇異な描写として描いていた。少なくとも霊をマートルのパートナーとしては描いてなかった。そのことから監督としては霊をきっかけにすることは肯定しても、霊に依存することには否定的だったように感じた。
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