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青空どろぼうのmegurosのネタバレレビュー・内容・結末

青空どろぼう(2010年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

四日市ぜんそくの発祥地、四日市市磯津。戦後、軍需工場の跡地に石油化学コンビナートが作られ、およそ300本の煙突からは環境基準の4.5倍を超える亜硫酸ガスが放たれることとなる。住民は慢性気管支炎や肺気腫を患い、街は高度経済成長の陰で公害の吹き溜まりになっていた。映画はただひたすらに患者の声を聞き、事実を集める”公害記録人”澤井さんに密着する。

先日観た「水俣曼荼羅」でも同様だったが、国だけでなく地方自治体も同じように酷い。石油科学コンビナート企業が市の税収の4割ともなると「市の発展のためには少々の犠牲は仕方ない」「漁業で生計を立てるなんて時代遅れ」そんな発言さえ市長から出てきてしまうのか。

公害の被害者たちは1972年に裁判へ。5年で判決、全面勝訴。8800万円の賠償を勝ち取り、企業は採算度外視でも公害対策設備の設置が命ぜられる。亜硫酸ガス対策で1000億円を投じることとなり、経済優先から人間尊重へと大きな転換がなされた。コンビナートを称えていた塩浜小学校の校歌も裁判の後に歌詞が書き換えられた。

ここから先、映画は”公害が忘れ去られていくこと”を描いていく。1974年に作られた公害健康被害補償法は1988年に改正され、新規患者の認定は行われなくなった。これは水俣病でも全く図式だが、早く幕引きしたい国や自治体と、後から遅れて発症して認定されない患者との対立を生むことに。

60年代、工場排水が垂れ流され、築地から魚が油臭いと突き返されてから50年。かつての漁場は水底のヘドロを分解しようとするバクテリアが水中の酸素を全て使ってしまっていて油臭い魚すらいない。漁師は35km離れた鈴鹿や常滑まで出かけ、売り物にならなくなってしまうため四日市には決して水揚げしない。一方でその海の上を行く船はコンビナートの夜景ツアーを新しい四日市の魅力として売り物にしている。

2005年に石原産業はフェロシルトという放射性物質を含む廃棄物を不法投棄。2008年には化学兵器にもなる毒ガス”ホスゲン”を無届に製造。2010年には当時被告企業だった三菱化学のデータ改竄が発覚。海に環境基準値を超えた排水を流していたことが分かる。この街ではそれがどれほど許されないことか澤井さんが語りかけると、広報は「世代じゃないから肌で知らない」「裁判後の入社で知らない」ということに。当時、児童もぜんそくによる心臓麻痺で亡くなっているが、そこから40年、50年。その児童が生きていてもまだ定年すら迎えていないというその時、街では終わっていないのに終わったこととして公害が忘れ去られようとしていた。

その時に必要となるのが事実の記録だ。元々、澤井さんは静岡のご出身で工場勤務。主催していた生活記録サークルが工員の待遇改善に繋がったことを成功体験に、公害の記録を始めた方だ。「関心と監視を強めるために記録が必要」だと澤井さんは語っていた。
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