とうじ

ブルジョワジーの秘かな愉しみのとうじのレビュー・感想・評価

4.5
「不条理な現実に、不条理で立ち向かう」というブニュエルの闘志は本作でも健全。

資本主義が加速すると、人々は匿名化し、アイデンティティが無くなる。その喪失感と不安を押し殺すために、人々は何をし始めるのか?
それは、「演技」である。本作のブルジョワの人々は、パーティを開いたり、テーブルマナーを完璧に実行したり、高い衣装を見に纏ったり、マティーニの正しい飲み方を実践したりする。それによって、彼らは、自分のブルジョワとしてのアイデンティティを信じることができる。「こういう行為をしているのだから、私たちはこうだ」という理論である。
そして、そういう「演技」によって作り上げられる、こごち良い夢の世界を、まかり通すのに役立つのが、「暴力」だ。自分に都合の悪いことを言ってくる奴、示してくる奴は「暴力」によって押さえつけて、見てみぬふりをすれば良い。本作の世界では、ブルジョワの人々にとどまらず、司祭、警察も、そのような「暴力」への頼り方をしている。
全ては演技なのだとしたら、人々の思考、理論などはどうでもよくなってくる。作中でテロリストや政治家が、自らの思想を喋る時、必ずそれを覆い隠すような雑音が入る。ブニュエルは、思想に逃げ込むことを許さない。
では、本作で描かれる人々がもっている信条とは何なのか?それは、自分の欲望に忠実であることだけだ。金が欲しい、麻薬を使いたい、セックスしたい、飯を食べたい、酒を飲みたい、強くなりたい。。つまり、動物と同じなのである。
人々の正体は、演技をしている動物、もしくは夢を見ている動物にすぎないということを、本作は動物園のような、達観性、豊かさ、冷たさ、そして楽しさによって徹底的に見せ続ける。それが一番顕著に表れている場面は、ブルジョワがディナーをしていると、急に部屋が舞台セットになって、幕が上がり、彼らを鑑賞している客席が現れるところだろう。ブルジョワたちは、あまりの恥ずかしさに耐えきれなくなって逃げ出してしまう。

本作のブルジョワたちは、何も考えていない。欲に忠実であることや、何かを恐れること、演技することは「思考」ではない。その空虚さは、彼らが田舎の道を呆然と彷徨うラストシーンに受け継がれる。しかし、本作は上流階級への攻撃ではない。それよりも、人間の根源的な行動理論による犠牲者として彼らを捉えた、悲劇の物語である。

あまりにも核心をついた物語は、不条理でシュールな笑い話になってしまう、ということがわかる映画。
とうじ

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