河

砂丘の河のレビュー・感想・評価

砂丘(1970年製作の映画)
4.6
砂漠のような土地をリゾートとして開発し売っている土地開発会社があり、女はそこで働くことになる。土地開発によって、開発対象地域に住んでいた人々は住む場所を失っている。

それに対して、学生運動を行うグループがある。その運動の内容は黒人への暴力の抑止であり、そのために行われたデモは警察たちに暴力によって弾圧される。

そして、その学生を弾圧する警察は土地開発のために何万人もの住む場所を奪う土地開発会社と重ねられ、さらにはベトナムへと兵を送り込み何万人もを犠牲としてきたアメリカとも重ねられる。
それぞれで何万人もの犠牲者が出ているというラジオニュースが流れるが、土地開発会社の人々はそれを聞いていない。そして、カリフォルニア州に7人の億万長者がいるという話をしている。それによって、その少数の人々によって構成される体制と、それによって犠牲になる数万人の人々が対比的に置かれる。
その対比は、土地開発会社の男の後ろにはためくアメリカ国旗と、学生デモでボロボロになったアメリカ国旗にも象徴される。

女の移動手段は車であり、車は消費社会の象徴となる。そこへ向かう前におそらく瞑想、ヒッピー的な生き方で有名な人物だろうジミーパターソンの住む地へ向かう。しかし、その地は廃れ切っており、潰れた車が捨てられている。元世界チャンピオンだった栄華を象徴するような男はその場所で1人老いている。
そこで、ジミーパターソンはアメリカの歴史を汚していると言われる。そしてジミーパターソンの連れてきた子供たちはそこで破壊を繰り返している。ジミーパターソンがアメリカに持ち込んだ思想を引き継いだ世代がその破壊を行なっているように見える。そして、その子供達は女を襲おうとする。
このパートにおいて、瞑想に入れ込みつつも消費社会を軸に生きる女は、ジミーパターソンの子供達に象徴される反体制的な考え方から除外される。そして、その消費社会が廃れた姿をその土地に見る。

主人公の男が運転する車から、企業広告や産業廃棄物が身を刺すような音と共に映される。その男は飛行機を盗み砂漠へと飛び立つ。その時に映るのは土地開発会社の「全てを捨てて飛び立とう」という広告である。この広告の指す場所は開発後の砂漠にあるリゾートであり、男が向かうのは開発前の砂漠である。そして、そこで土地開発会社の仕事のため次の開発候補地に向かう女と出会う。

男は飛行機に象徴されるように、現実に足をつけずに理念だけを追い求める、現実に溶け込まずに飛び続ける存在である。
それに対して、女は車によって現実に足をつけてはいる一方で、トリップや瞑想をし続ける、現実にいつつもひたすら夢想している存在である。学校で上の階に忘れた本を取りにいくのを阻まれるように、女は上にいくことができない、上を見続ける存在である。
そこに、飛行機に乗った男が飛びながら車に乗った女を誘惑する。それは女が夢想してきた上への誘惑である。
また、そのそれぞれの生き方によって、現実に根ざすことを重要とする学生運動グループと2人は相容れない。

消費社会に足をおいて生きる女とそこから遊離して生きる男の対比が、男ののった飛行機からの不安定な街の俯瞰映像から、スムーズな砂漠への俯瞰映像へと切り替わり、そのまま車が映されるというシークエンスに象徴される。

開発会社のCMは全てマネキンでできており、開発会社がフェニックスに持つ建物も偽物の砂漠のオアシスのような造形になっている。それが、開発前の数千年の歴史をかけて築かれた砂漠と対比される。

男は女と出会うことで翼竜となる。盗んできた飛行機を翼竜のように塗り直し、それに乗って古くからある砂漠を飛び立っていく。そして、元いた街に戻り犯罪者として撃ち落とされる。

それに対して、女は開発会社に向かう。その道中で男の死を知る。女は、消費社会に足を置きつつもそこから逃避することを夢想する存在だったが、途中に寄った場所でその開発会社に代表される消費社会がその先廃れていくことを知る。同時に、男の死によった男のように現実から逃避して生きることも不可能であることを知る。そして、その先に待つのは男と過ごした砂漠とは真逆の、偽物に溢れた砂漠のリゾートである。

そして、女はその夢想の中で何度もその偽物のリゾートを爆破する。そして爆破によってあらゆるものが空を舞う。それは男と女が初めて会った時に空から舞うように落とされたTシャツの反復となる。果たされなかった空を飛ぶように生きる生活、現実から遊離した生活を空想の中で実現する。

同時に、その爆破風景はマネキンやモデルハウスを使用した原爆の爆破実験と同じに見える。その夢想の中での爆発は、タバコによって開発会社の人たちが招いたものである。消費社会の果てとして生み出された原子力によって、その消費社会が爆発してしまえば良い。自分達の生み出したもので全て破壊され元の砂漠へ帰ってしまえば良いというような感覚が残る。
そして、最後に映る夕焼けはその人類の世界が終わりに差し掛かっていることを表しているように感じられる。

逃避を夢想の中で実現しつつも社会の崩壊を強く願うようなこの爆破シークエンスが非常に美しい。同時に、この監督のここまでの作品の流れの帰結としてもかなり納得できるもののように感じる。それがアメリカンニューシネマと連動したのは、どちらも共通の社会的不安、危機のようなものを共有していたからなのか。

あと、飛行機が飛べない車をからかうようなあのシークエンス、出会いを描いたシークエンスとしてめちゃくちゃに最高だと思う。

モチーフで語っていく監督だからそれを追いながら作品を見ていくことになるけど、そのモチーフが異様なオーラを持ってたり、その過程でそのモチーフが決定的に変容する瞬間(『太陽はひとりぼっち』の街灯など)があって、それが本当に好きだなと思う。
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