口口

4ヶ月、3週と2日の口口のネタバレレビュー・内容・結末

4ヶ月、3週と2日(2007年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

『17歳の瞳に映る世界』と同様、望まぬ妊娠をした女性とその友達が中絶手術のために、法の外で奔走する話。
ここでは、友人オティリアが主人公で、当時違法だった中絶手術を受けるルームメイトに、献身的に、淡々と手を貸す様子が描かれる。

この映画で1番興味深いのは、妊娠した張本人ガビツァが、オティリアの献身に対して「感謝」を見せないこと、そしてオティリアもそれを要求しないことだ。

なぜか?

それはオティリアの動機が「友情」や「善意」によるものではなくではなく、「自分だったかもしれない」という意識だったからだろう。

その一種の共感あるいは強迫観念は、相手の都合で嘘をつかれる/こき使われる/有金全部取られる/オッサンに体を触られる/恋人の(胸糞悪い)家族イベントを早退する/電話を無視される/グロテスクな物体を愛用しているカバンにぶち込まれた挙句それを持って夜中歩き回らされる…という様々な苦労にも勝る。
こうしたオティリアの無条件な献身は、望まぬ妊娠の苦痛と、それを断つ手段を禁止することの不条理さが如何なるものかを示している。そして、ガビツァ自身もそれを分かっているから、オティリアにへつらわないのだろう。その嘘みたいな太々しさは、むしろ「立場が逆だったら当然同じことをする」という意思の表れにも思える。というかそう思いたい。
いずれにせよ、オティリアの行動の原動力は、自分自身の中にある。

ガビツァの妊娠の背景が明示されないことと、それとは対照的に、オティリア自身のありふれた恋愛事情と、その中にある不条理が克明に描き出されることで、この問題が誰しもにとって身近なものであること、そしてオティリアの献身が、彼女たちの連帯が、「社会主義時代のルーマニア」という局地性や個別性を超え、実は遍く成立しうるのだと考えさせられる。

勿論、自分を含めた世の多くの女性が、オティリアの立場になった時、同じような行動を取れるか、取るべきかというと、わからない。無理では?そんな疑問が浮かんだところでのラストがこれまた最高。壮絶な経験を経て、何事もなかったように肉を食うガビツァと、オティリアの気の抜けた、悲しげな顔。「わかっちゃいるけど、他にどうしろって言うのよ」とでも言うような悲しみと諦観を浮かべてカメラを振り返るオティリア。この瞬間にこの映画は虚構性を取り戻し、現代の悲惨な寓話に過ぎないことを私たちに思い出させる。そしてオティリアの行動は、規範ではなく、皮肉になる。上手すぎて、さすが、パルムドールだな、と。しかも15年前…。
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