ずいぶん前に観て以来、2度目の鑑賞。
チャウシェスク政権期の暗い暗い社会主義時代を象徴するようなルーマニアの作品。
街灯もなく、インフラも整備されていないような、じめ〜っ、じと〜っとした冬の寒々とした街中の映像。一方で室内は質素で乾いたような感じ。ホテルも主人公たちの寮も。
明るい描写はひとつもない。
人間にも温かみが感じられない。
これは闇堕胎の話だ。
チャウシェスク政権の産めよ増やせよの政策で中絶や避妊が禁止されていた。
主人公オティリアの友人であるガビツァは妊娠してしまい、闇堕胎に頼るしかない状況だ。
ところが、妊娠したガビツァが友人のオティリアに処置までの段取りとか、何もかもを押し付けているように見えるのだ。
最近の作品『あのこと』も同じような題材だったが、その作品では、妊娠した本人がすべて自分で動いていた。自分の行動の責任は自分で取るといった覚悟みたいなものを感じたものだ。
友人であるオティリアが何故そこまで献身的に動くのか分からない。後々、自分が妊娠してしまった時のことを考えてのことだろうか。(ちょっと考えすぎか)
うーむ…背景が見えない。
ガビツァも考えなしで、安っぽい嘘をつくものだから、処置をする闇医者もオティリアもふざけるなといってガビツァを一喝するのだが、本人はなんだかケロッとしている。
あの時代はどの国もまだ未熟で、男性優位であることが常であったから、この作品においても、シビアな選択をしたり、リスキーな行動を強いられるのは女性なのだと言わんばかりに突きつけてくる。
でも現代のような社会になることを知らない女性達は、そんな社会を普通のものとしてそれなりに楽しく生きていたのではないかなとも考えちゃうのである。
処置後の赤ちゃんをそこら辺に転がして、軽く扱ったり、身体に負担が掛かるであろう経験をしても、友人に重荷を背負わせても、事が終わればスッキリし、いつものようにお腹が空いてモリモリご飯を食べる…これはガビツァだから?人間ってそんなもの?
オティリアは彼とも上手くいかないだろうし、わだかまりや後ろめたさは今後も付き纏うだろうなぁ。そうやって考えると、ガビツァの罪は堕胎だけではないような気がした。
なんだか再鑑賞してみると、思うところがいっぱいあって、少し寒気がするような作品でした。