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グッドフェローズのhasseのレビュー・感想・評価

グッドフェローズ(1990年製作の映画)
4.3
演出5
演技5
脚本5
撮影4
照明3
音楽4
インプレッション4

ヤクザもの、ギャングもの映画における『グッドフェローズ』の特異性ーーコッポラの『ゴッドファーザー』とも、レオーネの『ワンスアポンアタイムインアメリカ』とも、日本映画を極道物とも異なる点は、徹底したリアリズムだ。
登場人物は皆、哀愁も美徳も、誇り高き仁義もへったくれもない。悪知恵を働かせて大金を手にいれ、酒と女をほしいままにしながらも、基本的には常に泥臭く、生き残るためには何でもやるという精神性が身体に染み付いている。

殺し屋は親しげにほほえみながら現れる
最も助けが必要なとき
力になってくれるべき人物が
冷酷に忍び寄る

上記は後半の主人公のモノローグだが、主人公は何時なんどきも自分に降りかかる裏切りや殺意に敏感で、とても臆病だ。彼は仲間のトミーとは違い、人を殺さない。少なくともそのようなシーンは描かれない。それは、あらゆるリスクヘッジのために殺さないジミーともことなり、主人公には人を殺す度胸が備わっていないように見受けられる。象徴的なのは、酒場でカード遊びをしている最中、トミーが黒人のバーテンをキレて射殺するシーンだ。

彼の臆病さ、内面の弱さ、葛藤を掘り下げて、情緒的なドラマに仕立てあげないのがこの映画のよいところだ。彼のその性向は叙情的にではなく、あくまで叙事的に、ストーリーに作用する。彼の本質的な性格が、最後、彼に視聴者が思いもよらぬ行動をとらせる。(その行動の根底には、仲間同士と言いつつも、彼がアイルランド系であり、シチリア系のファミリーにはどうあがいてもなれないという本質的な断絶が横たわっている、とも考えられるが)

この映画の面白さは人間ドラマというよりは、主人公のモノローグ(語り)にあり、断片的なふとした生活風景の活写にある(後半のクスリと夕飯の鍋を交互に混ぜるバタバタしたシーンは最高)。そこには、徹底したリアリズムの力学がはたらいている。
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