真鍋新一

紅の流れ星の真鍋新一のレビュー・感想・評価

紅の流れ星(1967年製作の映画)
3.3
勧善懲悪の日活アクションも1967年ごろになってくるとずっと昔のままというわけにはいかなくなってくる。よりスタイリッシュに、よりハードボイルドに。とにかく新しいことに果敢に挑んだ作品が後世に残るということらしい。その後のニューアクションよりは抑制の効いた作風なので、カルト的な人気作になっているのはわかる気がする。

当時の新しい映画といえばヌーヴェルヴァーグである。この映画の渡哲也は『勝手にしやがれ』のジャン=ポール・ベルモンドのようにおしゃべりな伊達男。一目惚れした浅丘ルリ子の前ではとにかく意味のないおしゃべり、意味のない行為、意味のない連れ回し。ダラダラと映像で遊ぶヌーヴェルヴァーグの様式を踏襲していく。つまらなくはないが、かつての日活アクションにあった子どもだましのマンネリズムに心酔している自分としてはこのあたりは少々相性が悪い。

舞台は神戸〜三ノ宮あたりでロケもふんだん。渡哲也が根城にしているゴーゴークラブも外観は現地のもののよう。中では奥村チヨ(演技も上手い)が「北国の青い空」をなんと杉良太郎とデュエットしている。そのあとに展開する渡哲也のルーズでスカしたダンスはなかなかのカッコ良さ。

浅丘ルリ子にはすでに娘らしいオーラはなく、誰も寄せ付けない強い大人の女性。どう見ても若くてやんちゃな渡哲也とは釣り合わず、しつこく言い寄ってくる彼の頬に何度もビンタを浴びせる。彼にはすでに松尾嘉代がいるのに、無茶で身の程を知らない男でいたがるのであった。

宍戸錠は若い頃の役どころがウソだったみたいに口数の少ない役で、実に不気味。かつては主役を食いかねない勢いで常に立っていた彼のわきまえた振る舞いに少し寂しさを感じる。本作で役者の序列を無視して活躍するのは刑事役の藤竜也。アキラとジョーのように仲良しにはならないが、あの渡哲也との抜き差しならない緊張感は藤竜也側の演技によるものだと思う。
真鍋新一

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