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姉妹(きょうだい)のニューランドのレビュー・感想・評価

姉妹(きょうだい)(1953年製作の映画)
2.9
✔『姉妹』(2.9p)及び『乳房よ永遠なれ』(4.3p)▶️▶️

 家城の作と思い、好きなので観に行く。が、始まると美空ひばりの名前が出てきて驚く。しかし、いざ始まると、屋外を中心として、人物らの動き·位置と、カメラ·モンタージュのうごき·角度が、瑞々しく踊り対応しあい、なかなかに心地良くバランス·可能性を感じさせてゆく。全く知らない演出家だが、家城の抑えた纏まりの内に向う好感と充分にはり合ってると思った。
 只、その後の脚本は、橋田がまだ若いせいか、まるで後にその世界に入り、幾分かでも一石を投じようとしたテレビドラマの旧風の、人物の心理に向かうよりも、表面的な想い·思惑の行違いの妙で気を引こうとするものになってしまってる。そこにアメリカのソフィスティケイト·コメディの軽み·粋さはなく、単に観客の気を引くことだけがはたらいている。津島~淡路~美空の三姉妹の話で、本当は近しく建築事務所に共に働く相手を想ってる長女に先んじ、気持と行動を示す積極的な親の動物病院で働く次女の為に、皆の公認ルートを引いてしまう女高生の末娘。しかも次女は、今度は長姉の為に末妹がしつらえた、ブルジョア然とした男に傾き、面目も行先願いも潰れ·恋に参戦とも勘ぐられた妹は家出。彼女が家に戻る迄に、人の心のないブルジョアの正体がバレ、長姉は想いを相手と確認し合う。しかし、長姉は身を引き次女の幸せを彼に託す。共感するにはまだまだ手立てが要る。
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 そういった点でその前日、何見めかの『乳房~』は、敢えてゴツゴツと、持ち前の滑らか·端正さを踏み出し、真に作家の想いを表現し、届けてる。近頃の復元プリントの無理な力がなく、しおらしくナチュラルなトーンの旧プリントだ。俳優出身監督を軽んじる先入観などというものは行動を狭め、私がこの田中絹代の最高作であり、この言い方は嫌だが女性映画作家の、史上の5人に数えさせる、驚異的傑作を初めて観たのは、21Cに入ってからで、20年も経っていない。というのはここでも繰返し書いた気がする。
 田中は本来滑らかな叙述スタイルを持ち、ここでも必要な物(·者)だけが配置され、無理なく引絞った纏った美術·縦の構図が使われ、どんでんもや90°変や切返し、寄りのカットや縦の移動や横フォローが詰めてく、俯瞰めの図が比較的多く入り、音楽も叙情的から不気味さまで多様に対応する。
 しかし、違和感やゴツゴツした感覚·心が形として、垣間見えできて、端正な収束を内から壊してく。作家の観客の嗜好性を越えた抑えられない渦巻く力の表出だ。2人の離れた位置から歩きながらの会話のフォロー移動のリバースに変な膨らみのカメラワークが入る、気が向いてる歩く相手の姿·倒れた自己の姿に·カメラは逆に退く、夫の浮気に仰向けに仰け反り倒れる·ストレッチャーを追った後に倒れる·時の切返したり同アングルでの短いカット切替、本人のいない祝いの会で高いの俯瞰め退きからたゆたい寄ってくカメラ、新聞社の若い男との病床で身体を重ねる俯瞰·仰角のどんでんの後者はヌケ硝子越し捉え、格子状やくり抜いたような窓越しや·霊安室への通路を関係者外遮る鉄柵引戸、風呂と炊き場の女同士やり取りの窓のあけ締めやくぐり窓の切り返し·寄りサイズの生々しく立体的切り取り、霊安室へのストレッチャーに尾いてく長いフォロー移動のどんでんの深い感触、病室の同室人に敢えて·そして成行き深く喜劇人系起用、闘病生活·余命幾許もなくなってからに長くを割き·月丘のデモーニッシュを越えて人間の原点的在り方の捉えの·アップ群も凄い·作家の腰を饐えての捉え込み(「子らよ、遺産もない母より‘死’を受け取りを」)。
 北海道の幼い子供2人を遺し若くして乳癌で亡くなった、女流名人(短歌)歌人の最後の2~3年位。働かず愛人も持つ·元より愛なき夫との別れ、夫が引き取った側の子への想い、親友女教師の夫への永き秘めた想い、真の苦しみが昇華した歌は作り物との一部の同志の声も、「頑固」も屈折·卑屈さもあった家族や社会への剥き合い方は·入院闘病後は「一転子供に戻ったように、無邪気に真っ直ぐに」、先に亡くなった想う人と·自分を世に出してくれた若き新聞記者への噴出る感情(「私が病になったは、こうしてあの人の入ってた風呂に、妻の貴女に入れてもらい、あの人と同化するためかとも」/「記者としては貴女の余命がないことを取り上げた。しかし私人としては少しでも永く生きて詩人として最後迄」「何も書かず、長生きして貴方を裏切ろう」/「予定など無視して、また戻り、長く居てくれた。神の救いなど要らず、汚れた侭生きたい。こんなに微睡みながらも、愉しい生を感じ取れた時間はなかった。もっと生きたいと」)。
 かなり奇型になってまでの、真の人間と作家の手になる、貴重でこちらに確かなものを与えてくれる作である。改めて感じ入る。
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