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鏡の中のマヤ・デレンのくりふのレビュー・感想・評価

鏡の中のマヤ・デレン(2001年製作の映画)
4.0
【マヤ・イン・ザ・ミラー】

音楽ジョン・ゾーン? 何だか懐かしい…と思ったら2001年のドキュメンタリー。

何故今ごろ公開かはわかりませんが、アメリカ実験映画の母、とも言われるマヤ・デレンについては殆ど知らなかったので、よい機会となりました。第二次大戦を挟んだ時期に、こんなに面白い女性映画作家がいたんですね。見る⇔見られることに極めて自覚的であったひと。

全映画作品を同時上映していたので、2本立てのように楽しんできました。鏡の中に潜り込むのと、鏡の外からそれを検証するような、面白い体験でした。本作のタイトルはわかり易いです。自作自演することの多かった彼女にとって、自分を見つめることが動機の一つになっており、モチーフに鏡も目立ちます。

自演とはいっても、ナルシズムより表現への意思を強固に感じます。私を見て、ではなく、これから自分がどう動くか、そして何が起こるか?という映画の行き先へと、観客の視点を強固に誘引しているようです。

彼女、顔はぎりぎり美人の範疇に入りそうですが、小柄で少々デン、な体型は、決して見惚れる姿ではなく、異界へのガイド役までで留まれてもいます。…て失礼か? 『夜の深み』メイキング映像に現れる、それなりの重さを持つ、ボレックスを使いまわす逞しい二の腕には、微笑ましくも納得しちゃうのですが。

少し前に活躍したレニ・リーフェンシュタールと、人生の共通点が多いですが、戦中・後に映画を作り続けたのに、戦争の影をまるで感じないのも面白いです。これは女性であった、ということも大きいのでしょうか。

自作は女性の映画である、と語っています。女性は常に変化する存在であり、映画は変化の過程を描くもの。瞬間でなく過程、と宣言しており成程でした。Metamorphose、というのがマヤ作品を楽しむキーですね。

ハイチに渡り、トランスの世界にカメラで潜り込んだ後は、その成果を作品に結実し辛くなったそうですが、これは潜ったまんま戻れなくなっちゃったんじゃないかなあ、とも、モノ万歳、な50年代とは折り合いがつかなかったのかなあ、とも思いました。ありがちな感想ですが、生まれる時代が少々早かった気もします。いまだ不思議なポテンシャルを抱えた作品群をみると、そんなふうに感じます。

映画作家のドキュメンタリーは、作品の一部を出せるのが強みではありますね。作品そのものの魅力は、当前そのものに触れないと試食でしかありませんが、本作の、ガイドとなる情報を服した後は、そのものがより美味しくなります。時々、画面いっぱいにテキスト解説が出てくるのにはゲップが出ましたが。

ちなみに彼女、ウクライナのキーフ生まれだったのですね。

<2010.1.21記>
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