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鏡の中のマヤ・デレンのクロのレビュー・感想・評価

鏡の中のマヤ・デレン(2001年製作の映画)
4.1
本作は実験映画作家マヤ・デレンのドキュメンタリーである。彼女はロシア生まれのユダヤ人でありニューヨークを拠点に活動し、44才の若さで亡くなっている。

以下は主な作品で、

1.午後の網目(1943)
2.魔女のゆりかご(1943) ※未完
3.陸地にて(1944)
4.カメラのための振付けの研究(1945)
5.変形された時間での儀礼(1946)
6.暴力についての瞑想(1948)
7.ハイチについてのドキュメンタリー(1947-51) ※未完
8.夜の深み(1958)

作品7を除く多くは10〜20分程度の短編である。

写真家でもある夫アレクサンダー・ハミッドが撮った、ガラス越しにこちらを伺うマヤ・デレンの物憂い眼差しをたたえたショットは作品を見る前からよく目にしずっと気になっていた。そして代表作の一つである「午後の網目」を見てシュールレアリスムの国のアリスといった風情の彼女の魅力に引きこまれた。そこには、どんな非合理が先で待っていようと物怖じせず飛び込んでゆこうとする瑞々しい気概が感じられる。

彼女は、男は「今に生きる」、女は「変化の過程」であると言う。彼女の作品もまた創作の対象を「夢見る私」(上記作品、1,2,3:シュールレアリスム)から「私という身体」(作品、4,5,6:舞踏家としての視点)を経て「私を包む神秘」(作品、7,8:ブードゥー教への傾倒)に移してきた。彼女は「忘我の境地に達してすべてが鮮明になることがある。その瞬間が何千倍にも増幅すると、自我を超越し別の真実が見えてくる。芸術のひらめきや愛もこの領域にある」と言う。これはちょっと映画の創作の場で遭遇する類のリアリティを超えているのではないか?それが実験映画製作では可能なのか?ブードゥーの世界で彼女は何を得たのだろうか?作品8については、異教の地で巫女のようにみなされるまでになった彼女とは最早違う世界を見ているような感覚を禁じ得なかった。いつかブードゥー教と並んでチベット密教やマイスター・エックハルトの神秘が映画を通して伝えられる日が来るだろうか?

彼女についてはその人脈の広さに驚かされる。本作はジョナス・メカス(映画作家)が彼女の未公開フィルムの数々を収めた缶を抱えて子供のように嬉々としているところから始まる(勢い余って缶をバラバラ落としてうろたえる姿がなんとも微笑ましい)。初期作品ではアンドレ・ブルトン等シュールレアリストたちとの集いの縁から、ジョン・ケージ(音楽家、「陸地にて」に出演)、マルセル・デュシャン(美術家、「魔女のゆりかご」に出演)、アナイス・ニン(作家、「変形された時間での儀礼」に出演)、がキャストに名を連ねる。また、グレゴリー・ベイトソン(文化人類学者、マヤがハイチのブードゥー教研究を行うきっかけとなる)と親密な関係になり彼女は夫ハミッドと離婚、とある。若き日のスタン・ブラッケージ(映画作家)を自宅に招いて面倒見たり、など実に個性的な面々と繋がっていたようだ。

彼女は気丈で感情の浮き沈みが激しかったようだが、周囲の人々が総じて彼女の放つ光にあてられており、翻弄されつつもその輝きを愛おしみ、共に生きることをかけがえのないこととして捉えていたことが伝わってきた。
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