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宮本武蔵 巌流島の決斗のデニロのネタバレレビュー・内容・結末

宮本武蔵 巌流島の決斗(1965年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

さて、高倉健である。佐々木小次郎を演じているのだが何とも言えぬ。桃太郎にしか見えぬのだ。中村錦之助、三國連太郎、江原真二郎、平幹二郎、河原崎長一郎等々の中では異種生物が紛れ込んだかのように見えてしまう。そうした狙いでもあったのだろうか。他者に動きに反応するときの目つきからは皮肉屋を演じる船越栄一郎を想起してしまう。随所で彼は登場するのだがそんな風体が興醒めだった。佐々木小次郎その人にも魅力を感じることがなく、この人物が好敵手と言われてもなあ。

『巌流島の決斗』は、新免武蔵が宮本武蔵となり、/青春、二十一、遅くはない!/と意を決して、あれから10年後の話となっている。『般若坂の決斗』の後、宝蔵院の高僧日観の態度に/殺しておいて合掌念仏。ウソだ!違う、違う、違う!/と叫んだ武蔵が、『一乗寺の決斗』で13歳の少年を無残にも刺し殺したあと観音像を彫る。/我ことにおいて後悔せず/と言いながらも何かに救われたいのだ。そんな武蔵のその後の話だ。

旅先で父親を亡くしたばかりの少年伊織に出会う。その少年と共にやせた土地を耕し次の秋には米二俵を収穫する。少年を連れ江戸に向かう。何と江戸にはお杉お婆、小次郎、お通、沢庵も来ているのだ。話はとんとん拍子に運ぶ。沢庵は武蔵を将軍家指南役に推薦するが、幕府の重役は『一乗寺の決斗』の少年殺しを問題視し、却下される。佐々木小次郎はと言うと江戸で細川藩の重臣内田朝雄に認められ、細川家指南役となっている。で、宿命ということで決斗と相成る。

本作は場面も尺も切り詰めていてよくわからない部分があるのだが何か制約があったのだろうか。江戸の刀研ぎとの「御たましい研ぎどころ」の問答、細川家家老長岡佐渡を演じた片岡千恵蔵の凄味、内田朝雄はやっぱり悪い奴だとか、まとわりつく蠅を箸で捉える中村錦之助の喜劇的表情等々記憶に残るシーンもあるのだがどうにもこうにも収拾がつかない。或いは前四作が怒涛の展開だったので少し疲れてしまったのだろうか。『仁義なき戦い・完結編』に似た雰囲気だ。が、吉川武蔵と言ったら巌流島は外せないのだろう。

最終作を意識してか、お杉婆、又八、朱美もなんじゃらほい、という関係になり、武蔵唯一の弱点相愛のお通とは遂に繋がれない。というよりも武蔵が逃げてしまう。まるで車寅次郎ではないか。そのヒロインお通入江若葉と朱美丘さとみの区別がつかないのはわたしのせいだろうか。

で、巌流島。一閃の下に斃される小次郎の三白眼。高倉健はこの表情のアップのために採用された。そう思うしかない。

それにしても意味不明なのは、武蔵が見止めた少年伊織が撃ち落とした鳥の口から流れる血を皿に溜めているのだが、あれは何のまじないなんだろうか。1965年当時、あの場面理解できたのだろうか。その疑念を抱きながら5年に亘った物語は終えた。

1965年製作公開。原作吉川英治。脚色鈴木尚之、内田吐夢。監督内田吐夢。

丸の内TOEI 中村錦之助=萬屋錦之介 生誕90周年記念 にて
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